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【ネタバレあり】ジョジョ・ラビット 靴紐が示す自由への一歩

JojoRabbit

目次

『ジョジョ・ラビット』作品紹介

『ジョジョ・ラビット』あらすじスタッフ・キャストを紹介します。
第92回アカデミー賞において脚色賞を受賞している作品であり、他部門や賞でもノミネートを果たしています。
作品については好みは分かれると思いますが、ユーモアのあるブラックジョークが第二次世界大戦という状況下の舞台で繰り広げられている様子や、ジョジョのイマジナリーフレンドであるアドルフなど子供でも見やすいものに作られているのではないでしょうか。

あらすじ

10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)は、ひどく緊張していた。
今日から青少年集団ヒトラーユーゲントの合宿に参加するのだが、“空想上の友達”アドルフ(タイカ・ワイティティ)に、「僕にはムリかも」と弱音を吐いてしまう。
アドルフから「お前はひ弱で人気もない。だが、ナチスへの忠誠心はピカイチだ」と励まされたジョジョは、気を取り直して家を出る。
時は第二次世界大戦下、ドイツ。ジョジョたち青少年を待っていたのは、戦いで片目を失ったクレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)や、教官のミス・ラーム(レベル・ウィルソン)らの指導によるハードな戦闘訓練だった。
何とか1日目を終えたもののヘトヘトになったジョジョは、唯一の“実在の友達”で気のいいヨーキーとテントで眠りにつくのだった。
ところが、2日目に命令通りウサギを殺せなかったジョジョは、教官から父親と同じ臆病者だとバカにされる。
2年間も音信不通のジョジョの父親を、ナチスの党員たちは脱走したと決めつけていた。
さらに、〈ジョジョ・ラビット〉という不名誉なあだ名をつけられ、森の奥へと逃げ出し泣いていたジョジョは、またしてもアドルフから「ウサギは勇敢でずる賢く強い」と激励される。
元気を取り戻したジョジョは、張り切って手榴弾の投てき訓練に飛び込むのだが、失敗して大ケガを負ってしまう。

ジョジョのたった一人の家族で勇敢な母親ロージー(スカーレット・ヨハンソン)がユーゲントの事務局へ抗議に行き、ジョジョはケガが完治するまでクレンツェンドルフ大尉の指導の下、体に無理のない奉仕活動を行うことになる。
その日、帰宅したジョジョは、亡くなった姉のインゲの部屋で隠し扉を発見する。恐る恐る開くと、中にはユダヤ人の少女が匿われていた。
ロージーに招かれたという彼女の名はエルサ(トーマシン・マッケンジー)、驚くジョジョを「通報すれば? あんたもお母さんも協力者だと言うわ。全員死刑よ」と脅すのだった。
最大の敵が同じ屋根の下に! 予測不能の事態にパニックに陥るジョジョだったが、考え抜いた末にエルサに「ユダヤ人の秘密を全部話す」という“条件”をのめば住んでいいと持ち掛ける。エルサをリサーチして、ユダヤ人を壊滅するための本を書くことを思いついたのだ。
その日から、エルサによるジョジョへの“ユダヤ人講義”が始まった。エルサは聡明で教養とユーモアに溢れ機転も利き、ジョジョは次第にエルサの話と彼女自身に惹かれていく。
さらには、ユダヤ人は下等な悪魔だというヒトラーユーゲントの教えが、事実と異なることにも気づき始める。
そんな中、秘密警察のディエルツ大尉が部下を引き連れて、突然、ジョジョの家の“家宅捜索”に訪れる。
ロージーの反ナチス運動が知られたのか、それともエルサの存在が何者かに通報されたのか──緊迫した空気の中、エルサが堂々と現れインゲになりすます。その場は何とか成功するが、事態は思わぬ方向へ──大戦が最終局面を迎える中、新たに生まれたジョジョとエルサの“絆”の行方は──?

引用元:『ジョジョ・ラビット』公式サイト

スタッフ・キャスト

監督・脚本:タイカ・ワイティティ
製作:カーシュー・ニール,p.g.a
チェルシー・ウィンスタンリー
原作:クリスティン・ルーネンズ
撮影監督:ミハイ・マライメア・jr
美術:ラ・ヴィンセント
編集:トム・イーグルス
音楽:マイケル・ジアッチーノ
衣装:マイエス・C・ルベオ
メイク・ヘア:ダニエル・サザーリー
ヴィジュアルエフェクト:ジェイソン・チェン

ジョジョ:ローマン・グリフィン・デイビス
エルサ:トーマシン・マッケンジー
ミス・ラーム:レベル・ウィルソン
ディエルツ大尉:スティーブン・マーチャント
フィンケル:アルフィー・アレン
クレンツェンドルフ大尉:サム・ロックウェル
ロージー:スカーレット・ヨハンソン
ヒトラー:タイカ・ワイティティ

『ジョジョ・ラビット』感想・解説

『ジョジョ・ラビット』感想・解説をしていきます。
個人的に気になった箇所や、使われているメタファーについてお話します。
以下の三点に絞って個人的な考察をしていきますね。

●靴紐の意味
●ヒトラーの扱いかた
●言葉の違和感

靴紐の意味

ジョジョ・ラビットでは靴紐がメインのシーンがいくつも出てきます。

まず、主人公のジョジョは10歳ですが一人で靴紐が結べません
そのためいつもロージーに結んでもらっています。

靴紐はとても重要なメタファーです。
靴紐を結ぶという行為は平和と自由への道の一歩を踏み出す準備だと思います。

ヒトラーをイマジナリーフレンドとしておりナチスに傾倒しているジョジョは、靴紐が結べない。
つまり、平和への一歩の準備すら出来ていないということです。
反ナチス運動を行っていたロージーは頻繁にジョジョの靴紐を結びなおします。
ロージーは口頭でもジョジョにアーリア人優生思想などは間違っていると強く言うシーンがあるように、ジョジョに元の優しい少年に戻ってほしいと思っているのです。
その行為として、何度も何度もジョジョの靴紐を優しい笑顔で結びなおします。

中盤にジョジョに恋について話すシーンがあります。
ジョジョが「恋なんてバカバカしい」というようなことを言いますが、ロージーは「どんな時でも恋に落ちることはある」と言います。
その後にジョジョの靴紐を両足まとめて結んで歩けないように意地悪をしています。
人間の愛情を侮辱したジョジョに「そんなことでは平和への一歩も踏み出すことは出来ないわよ」と言っているような気がしました。

靴紐がほどけていれば上手く歩くこともダンスすることも出来ません。

秘密警察が来た後、ジョジョが広場に行くとロージーが宙吊りにされて処刑されているのを目撃します。
このシーンはとても印象的です。
ジョジョの目線にカメラがあり、ふと横を見るとロージーのウイングチップパンプスが目に入ります。
これだけでロージーが処刑されたのだとジョジョも観客の私たちも気づくのです。
ロージーの顔は映されません。
この時、ロージーの靴紐は解けています
死んだ人間は平和への一歩も自由への一歩も踏み出すことは出来ません。
さらに酷いことに宙吊りにされており、地に足もついていない状態なのです。
ジョジョはロージーの靴紐を結ぼうとしますが、上手く結ぶことは出来ません。

最期にエルサと共に外に出ようとするシーンで、エルサの靴紐が解けているのをみてジョジョが結びなおすシーンがあります。
エルサはジョジョから戦争はドイツが勝ったと聞かされており、本当に外に出て大丈夫か不安な状態です。
それが解けた靴紐として表現されています。
そんなエルサに対して、大丈夫、一緒に自由への一歩を踏み出そうと勇気づける心が靴紐を結ぶという行為に示されているのです。

靴紐を結ぶという行為一つとってもジョジョの成長が見えますね。

イマジナリーフレンドとしてのヒトラー

冒頭にヒトラー(ナチス)に熱狂する人々の資料映像が流れました。
しかし、ここにも実物のヒトラーは映されていません。
また、物語の中でもヒトラーやナチスという概念はあっても存在は映し出されていません

そんな中で、ジョジョのイマジナリーフレンドとしてのアドルフとしてヒトラーは登場します。
彼は確かにドイツ訛っぽい英語でいつも演説するように力強くジョジョに語り掛けます。

監督演じるアドルフ・ヒトラーはコメディ調で面白くもあり、ジョジョを慰める場面など少し親近感を感じてしまいそうになります。

この映画で描かれているイマジナリーフレンドのヒトラーはまさにこの時代の人々にとってのヒトラーそのものだったのではないでしょうか。
皆が段々とヒトラーに傾倒していき何度も演説を聞く中で、自分の中にひとつのアドルフ・ヒトラーという概念が出来ていく
そして恐ろしいことに、その概念は悪いものではなく自分の心の拠り所として存在していた。

人々はアドルフ・ヒトラーそのものやナチスそのものに熱狂していた訳ではなく、
ジョジョのように自分の中のアドルフ・ヒトラーを親しく感じていたのです。

後になってナチスやヒトラーがどのような残虐非道な行為を行っていたか知ることになるとは露にも思わずに…。

あえてコメディ調にする意味は、人の中の概念としてのヒトラーを表現していることにあると思いました。

言葉の違和感

この映画で私が終始ひっかかりを覚えたのは言葉です。
ドイツが舞台と言いながら、登場人物は英語で話します
アーリア人優生思想を唱えながら英語でしゃべる…。
これで一貫するなら百歩譲って「そういう世界観なんだな」と納得できました。

それが最後のほうで、敵のアメリカ軍とイギリス軍が攻め込んできた場面で問題が起きます。
敵が話しているのを見て、ジョジョが「何を言っているか分からないよ!」というのです。
全員が英語をしゃべっているにも関わらずです。

最期にドイツに攻め込んできた敵が英語を話しているので、何を言っているか分からないということを表現したいのに、
ジョジョ達ドイツ人が英語を話しているのは矛盾しているのではないでしょうか。

敵の軍人に「Go home!!!」と怒鳴られているのにはついに笑ってしまいました。
どっちも英語しゃべってるじゃん(笑)

そして書いている文字はドイツ語というよくわからない状態。

ちょっとここは気になるポイントでしたね。

『ジョジョ・ラビット』感想のまとめ

『ジョジョ・ラビット』はある意味一般受けしやすい作品だと感じます。
主人公のジョジョの人柄(純粋で騙されやすく何色にも染まれるところ)や、ジョジョの母を演じるスカーレット・ヨハンソンにも感情移入しやすいのではないでしょうか?

私の観賞時の感想として特に感じた点を以下にまとめました。

キャラクターの魅力

何といっても登場人物がとても魅力的な映画です。

ジョジョの現実の友達のヨーキーは、ジョジョの思想に関して決して批判はしません。
とても公平な見方の出来る優しい少年です。
キャンプで「ユダヤ人は魚と性交する」とか教えられても、
「ユダヤ人と僕たちはどう違うんだろう。見分けることは出来るのかな?」と問います。
また、ジョジョがユダヤ人に恋をしていると話しても秘密警察に密告もしないし批判もしません。
ジョジョがイマジナリーフレンドのヒトラーとお別れできたのにはヨーキーも一役かっていると思います。

キャプテンKも途中までは高慢ないけ好かない大尉かと思わされます。
でもエルサがジョジョの死んだ姉に扮して秘密警察をやり過ごそうとするとき、その優しさが顔を出します。
身分証明書を提示するように言われたエルサがキャプテンKに証明書を渡し、生年月日の照合をする場面です。
エルサは日付を間違えて言ってしまいますが、キャプテンKは「合っている」と嘘をつきます
キャプテンKは決してその場限りの嘘をついてのではありません。
きっと、日ごろからジョジョがユダヤ人について頻繁に聞いてくるのでユダヤ人を匿っていることを知っていたのです。
ロージーが処刑されたこと、秘密警察が動いたことを知ってジョジョの家に駆け付けたのではないでしょうか。

ジョジョの周りは常に優しい人々が沢山います。
勿論、そのほとんどはナチスに傾倒している人です。

例えば戦争のただなか、私服でいるジョジョにドイツ軍のシャツを着せてくれるミス・ラーム。
敗戦となりドイツ軍のシャツを着ているジョジョが捕虜にされたり殺されないよう、
シャツを脱がせてくれるキャプテンK。
それぞれの正義は違えどジョジョを助けようとしてくれる心は同じなのです。

この映画でキャプテンKを演じるサム・ロックウェルがとても好きになりました。
クリント・イーストウッド監督『リチャード・ジュエル』にも出演しているということで、
こちらも観てみたいと思います。

戦争が日常に侵食する時

時代は戦争の真っただ中ですが、日常常に爆弾が落ちて着たり逃げまどったりという描写は殆ど描かれません。
しかし、その一方で日常の中に漂う戦争の空気はあります。

・子供が軍事訓練をするキャンプ
・子供たちによる焚書のシーン

まだこちらには及んでないが徐々に近づく戦争の空気。

・エルサとジョジョが窓辺で隣町の戦火を見ながら話すシーン
・母親と自転車に乗りながら見る、負傷者の護送車

そして最後のアメリカ軍とイギリス軍が攻め込んでくるシーンにつながります。

私は戦争を知らない世代です。
それでも戦争はこうやって日常に他人事のように、でも我が物顔ですぐそばにある怖いものなのでしょう。
その反動として、最後のエルサとジョジョのダンスシーンはとても美しいラストショットとなりました。

少年の目を成長を通して、戦争を描く。
『ジョジョ・ラビット』はすごく感動できるとか、衝撃的という類の映画ではありません。
それでも、見た人間が心にじんわりと温かいものを感じる反戦映画だと思います。