映画

『秘密の森の、その向こう』一人っ子と家族そしてジェンダーについて【ネタバレあり感想】

『秘密の森の、その向こう』一人っ子と家族そしてジェンダーについて【ネタバレあり感想】

仕事と転職活動で忙しくしていたら2カ月も映画が観られずに死にそうになってました。
映画大好き関西OLのめぐみ(@megumi_no)です!

現在、束の間の無職を満喫しており、1日1本は映画を観られているので幸せ……。
無職最高です!!!←

2019年に公開した『燃ゆる女の肖像 』で大好きになったセリーヌ・シアマ監督の最新作、『秘密の森の、その向こう』を鑑賞してきました。
個人的には原題の『Petite Maman』の方が好きなんですが、邦題もこれはこれでおとぎ話みたいなタイトルで素敵ですよね。
燃ゆる女の肖像 』に引き続き、女性が主役の物語ではあるのですが、母子でもあり、姉妹でもあり、恋人でもあるような全てを包括した描き方をされていて『秘密の森の、その向こう』もとっても興味深かったです。

これ以降はネタバレを含みます。
まだご覧になっていない方はご注意ください。

目次

『秘密の森の、その向こう』あらすじ・キャスト

秘密の森の、その向こう』は設定だけみるとバリバリのSF映画ですし、この現実味がないお話をどうやってセリーヌ・シアマ監督は撮ったんだろうと、実際に観るまでは期待と不安が混じりますよね。

でも誰でも一度は自分の親ってどんな子供だったんだろうって思ったことはあるはずです。
少なくとも私は母の昔の写真を見るのが好きでした。
自分と同い年の頃の写真や映像をみて、なんだか大人に見えたり、逆に子供に見えたり……。
実は私、『秘密の森の、その向こう』は元々セリーヌ・シアマ監督だから観ようと思ったわけではなくて、あらすじを読んで面白そうだなぁと思って監督を調べたら偶然好きな監督だったってだけなんですよね。

正直SFと言うには派手さはなく、静かに時間が流れていく作品なのでエンタメ色は薄いです。
なのでエンタメSFとして観てしまうと物足りなさはあると思いますが、骨太なドラマとして観れば十分満足できるはずです。

あらすじ

8歳のネリーは両親と共に、森の中にぽつんと佇む祖母の家を訪れる。
大好きなおばあちゃんが亡くなったので、
母が少女時代を過ごしたこの家を、片付けることになったのだ。
だが、何を見ても思い出に胸をしめつけられる母は、
何も言わずに一人でどこかへ出て行ってしまう。
残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女と出会う。
母の名前「マリオン」を名乗る彼女の家に招かれると、
そこは“おばあちゃんの家”だった――。

引用元:『秘密の森の、その向こう』公式HP

秘密の森の、その向こう』は設定はSF感がありますが、主人公のルーツ探すことそして、自分と母の寂しさを癒すことがこの物語の肝だと感じます。
あと、設定として主人公も母も一人っ子なんですよね。
一人っ子って幼い頃は、家族が大人しかいないですしある意味で家族の中では子供として少数派なんです。
それもこの物語の主人公と母が抱える孤独感や寂しさみたいなところに結び付いてきていると個人的には思います。
ちなみに私も一人っ子なので家族内に子供がいないが故に自分も大人にならなきゃいけないような気持ちだったり、家庭内で子供のようはしゃぐことがない、あの感じがとても分かりました。

キャスト

今作の主人公となる二人の少女、ネリーとマリオン役を務めたのは、ジョセフィーヌ・サンスとガブリエル・サンスの姉妹です。
どおりで似ているわけですよね。
この二人は『秘密の森の、その向こう』の物語に感銘を受けて出演の申し込みをしたそうです。
実際の撮影も即興的に行われることが多かったそう。
それでも気心が知れた大切な友達のような距離感が出たのはやはり姉妹だからかもしれませんね。
二人でクレープを作るシーンとか、一緒に遊ぶシーンはどれも天使みたいな可愛さですしね。

『秘密の森の、その向こう』家族の描き方

秘密の森の、その向こう』で主要な登場人物は主人公ネリーの家族だけです。
前述しましたが、ネリーにとって家族は亡くなった祖母と、母と父のみ。
つまり、ネリーは一人っ子ということになります。

一人っ子の私もそうですが、一人っ子と親の関係は密接なことが多いです。
そりゃ子供一人だけだから、その子にかける時間も増えるし当然と思われる人もいるかもしれません。
確かにそういう面もありますが、それ以上に家族の中に子供が自分しかいないということが一番大きいです。
友達と自由に遊べるようになるまで、一人っ子の友達は自分自身か親なのです。

ネリーと母の関係

秘密の森の、その向こう』では母と娘の距離感は最初から姉妹のようでもあり、それと共に母は大人として分からない部分が多い人でもあります。

タイトルの『Petite Maman』が出るタイミングは、母の後ろ姿です。
ネリーにとって母親は何を考えていて、どんな人なのか、どんな子供だったのか分からない。
だから顔ははっきりとは映さずに後ろ姿が『Petite Maman』という存在なのです。

だけどもネリーにとって母は親であり、友達であり、姉である。
祖母の家に移動するときに、ネリーは自分の食べるお菓子とジュースを母親にも分けます。
これは親に対してというより、姉妹または友達ですね。
部屋の整理をしているときも「字の間違いは多いけど、絵は上手だね。」と距離感は姉妹のようだと感じました。

それに対してネリーとマリオン(8歳の時の母)は、より姉妹や友達に近づきました。
ネリーと同い年のマリオンとはお互いに、母が出て行った孤独と、手術にたいする不安や母をいずれ失うことに対する恐怖を共有することができますし、お互いに励まし合うことができます。

いつも一人でしている遊びも二人でできますし、ネリーにとってマリオンは確かに小さい時の母であると同時に、友達であり疑似的な姉妹であるのです。

ネリーと父の関係

一方でネリーと父との関係はしっかり大人と子供として分けて描かれています。
まず、父親は娘に健康に悪いと言われながらもタバコを吸います。
父親が遊びに付き合ったりすることはないです。
大人だから髭も生えてきますし、大人はすぐ「また今度」と言いますよね。

もしかしたら、父が小さい頃に父親が怖かったように、ネリーも父親のいうことは聞かなきゃいけないと思っているかもしれません。
それでもマリオンとのお泊り会は強く「今度はないの。」と主張を通しますよね。
それに対して、大人としてちゃんと子供の真剣な主張をただの我儘とせず受け止める父は立派な大人だと思いました。
子供でも一人の人間として扱う。
そういう大切なことが出来る大人でありたいと思わされましたね。

『秘密の森の、その向こう』ジェンダーについて

私は『秘密の森の、その向こう』はネリーと母の同じ女としての物語が根底にあると思っています。
(祖母もそこに入ってくるので圧倒的に女系の話ですよね)
でも、それと同時にネリーとマリオンは意図的に女性と男性を演じ分けられています。
そう考えられる場面は二つあります。

・ネリーとマリオンの衣装
・ネリーとマリオンのごっこ遊び

この二点に関してははっきりとネリーが男性、マリオンが女性を担っています。
こちらに関して詳細は後述しますが、なぜ二人がそれぞれ男性と女性の性を担う必要があったのか。
これは私の考えになりますが、8歳という年齢はまだ性自認が定まっておらずこれから男性にも女性にも変わっていく曖昧さや可能性をあらわしているのではないでしょうか。

8歳というまだ家族という狭い世界が大半をしめている世代。
自分というものに対してもまだこれから変わっている可能性や広がっていく可能性。
そういうものが未知であると同時に可能性にあふれている。
そんな描き方がされていると思いました。

ネリーとマリオンの衣装

まず衣装はセリーヌ・シアマ監督が担当しています。
監督はこの物語がいつの時代なのかあまり特定されないように普遍的なものになるように衣装を選んだと言っています。

それと同時にネリーは青色マリオンは赤色の衣装で統一しています。
どう考えても意図的にその色を着せているんだなと。
そのシーンでもその配色ですからね。
単純に顔が似ているので、ネリーがどっちでマリオンがどっちか分かりやすくする意図も一部にはあると思います。
青は男、赤は女というのはある意味前時代的な感じですが、まあ分かりやすいですよね。

ネリーとマリオンのごっこ遊び

仲良くなったネリーとマリオンは小屋づくりやボードゲームなんかをしますが、何度もやっているのはごっこ遊びです。
ごっこ遊びをしている一つの理由としては、マリオンの将来の夢が役者だから。
それと共に、女性としても男性としても社会的役割を担うことができるという可能性を示しています。
ネリーは刑事役としてネクタイを締め、マリオンは容疑者であり刑事と恋に落ちる未亡人役。
(余談ですが、子供のごっこ遊びにしてはリアルすぎて、まさにリアルおままごとや……と思いながら観ていました(笑))

ネリーは髪の毛もぴちっとくくり、ネクタイをして、より男性らしさを強調しています。
そして二人の間に子供も出来る。
ある意味祖母から母、そして娘へ繋がっていくルーツの話として映画の中のドラマが機能しているなぁと思いました。
あと、子供の頃って別に男の役は男が必ずやらなきゃいけない、なんてそんな括りありませんでしたよね。
何にでもなれる。そう思えることも子供時代のいいところです。
こういう小さい演出も、子供の今とこれからの可能性って大人が思っているよりも大きいものなのかも……と考えさせられました。

『秘密の森の、その向こう』母親は全て知っていたのか

タイムトラベル的な要素を持った『秘密の森の、その向こう』ですが、8歳の時にネリーがマリオンと出会うことを母親は知っていたのでしょうか?
これ、皆考えると思いますし意見が分かれるところですよね。

私は最初からは知らなかった説を支持しています。

最後のシーンでネリーが母に「マリオン」と呼び掛けるシーン。
あのラストシーンでは母親は完全に8歳の時にネリーに出会った母親です。
なぜならネリーは8歳の頃の母にしか「マリオン」と名前では呼び掛けないですし、それは母も知っているから。
この呼びかけに答えたということは、もう8歳の頃に出会っている母なんです。

ではそれ以前から母は8歳の頃にネリーと出会った世界線の母だったのでしょうか。
私が違うと考える理由は二つ。
まず一つは、もしすでにネリーと出会っていたら祖母の死も分かっていたはず。
もし自分が31歳の時に自分の母(ネリーにとっての祖母)が死ぬと分かっていたら、子供時代のノートをみて辛くなったりしないはずです。
もう一つは、もし出会った後なら自分の母(ネリーにとっての祖母)を失った悲しさから一人で家をでていってしまうこともないと思うからです。
まあ、一応8歳の時にマリオンがネリーから「母が家を出て行った」という話を聞いているので、未来でその通りに動いた。という可能性もなくはないのですが……。
あらすじの段階で、“母との思いでに胸がしめつけられて出て行った”とあるので、ネリーの証言通りに動いた説は私は否定しておきます。

ラストシーンの母は8歳の頃ネリーに出会った後の母だからこそ、ネリーが帰ってきてすぐに「勝手に出て行ってごめんね。」と言うのです。
それは一般的な謝罪の言葉かもしれませんが、ネリーがどれだけ置き去りにされて不安だったのか、母に帰ってきてほしかったのかを知っているからの謝罪だと感じました。
ネリーがマリオンと一緒に不安を乗り越えて母がいなかった時間を「いい時間だった。」と言えるのは、二人で過ごしたあの数日が最高なものだったからですよね。

『秘密の森の、その向こう』感想まとめ

秘密の森の、その向こう』は73分と短めですが、重厚感のある作品でした。
子供の今抱えている問題や、これからの可能性。
そういうものに対して私たちがどうやって向き合っていくのかを丁寧に描き出しています。

私は『秘密の森の、その向こう』のセリフ回しも凄く好きなんです。
泣きそうになった場面が三つもあって(笑)
一つ目が、ネリーが父親に昔話をせがむ場面で「怖かったものはなに?」と聞くところ。
大人は得てして自分の武勇伝的なのを語りたがりますが、ネリーは大人の弱いところを知りたい。
自分と同じ人間として、父親の弱さも知りたいんだと思うと何故か涙があふれてきましたね。

二つ目は、マリオンにネリーが自分が娘であることを打ち明ける場面。
マリオンが「未来からきたの?」とネリーに問うと、ネリーは「後ろの路から。」ということを言うんですよね。
これがすごくいいなって。
未来からきたんだよ!!ていう壮大な話なんかじゃなく、二人の世界は繋がっていて、ちょっと後ろの路からきたんだよって出会ったのが自然かのようにネリーが捉えていて、物語の突拍子のなさが打ち消されているんですよね。
自然であり必然だったんだと観ている人も二人の出会いに疑問を持つことはない、いいセリフだなぁと思います。

三つ目は、やっぱり最後の祖母への「さよなら」ですよね。すごく控えめなお別れの挨拶。
ネリーは祖母にお別れが言えなかったのを悔やんでいて、マリオンをお見送りする時これが最後になるって分かっているんです。本当なら「おばあちゃんさようなら」ってハグくらいはしたいところを、ちゃんと数日前に知り合った娘の友達としての距離感で精いっぱいのお別れをしっかり言う。
人はいつが最後のお別れになるかなんてわからないけど、ネリーは奇跡的に最後のお別れをやりなおすことができた。
もう、それだけで救われますし、ここで涙しない人はいないでしょうね。
本当に日常の一コマみたにすぐ過ぎていくシーンで過激な演出もクローズアップもなくて、でもそれが逆に「さよなら」の一言の良さを最大限引き出していたと思います。

大人が思う以上に子供は大人のことを不思議で理解ができない存在だと思っていること。
そして自分と同い年の頃、どんなだっただろうと思っていること。
特に完璧に見える大人も昔は苦手な食べ物があったり、自分と同じように怖いものがあったこと。
そういうことを子供と全く同じ目線で共有はできないけど、なんとなくあの頃に戻った気持ちで接することができれば、そして対等な存在として扱うことができれば、子供と大人はいい関係を築いていけるのではないでしょうか。

やはりセリーヌ・シアマ監督はこれからもチェックしなくてはいけない。
好きな監督がちゃんと新作を撮ってくれるって最高だなと実感した一本でした。