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『ボーダー二つの世界』 北欧のトロル信仰
『ボーダー二つの世界』は北欧を舞台にした映画ということで、この映画で一番大切なトロル信仰について解説していきます。
トロルについて
トロルは北欧(特にノルウェー)の伝承として伝わる妖精の一種です。
トロルの行動として伝えられているのは、
人間を襲う
親族の結婚相手にする・一緒に暮らす・食材として扱うためなど
アイルランドの伝承ではトロルは自分たちの種族繁栄のために人間をさらうともされている
・人間に魔法をかける
人間の姿を石・シロクマ・トロルなどに変える
・祝祭日に人間社会に御馳走を食べにくる
この日は人間もトロルを容認する
・人間の姿に変身し人間社会に入り込む
自身の計画に必要があれば人間社会に入りこむことがある
などがあげられます。
容姿は巨大な図体・長い鼻・基本的に醜い容姿とされており、尻尾がはえているとされている場合もあるようです。
トロルといえばムーミン
日本人がトロルもしくはトロールと聞いて真っ先に思い浮かぶのはムーミン・トロールかもしれないですね。
ムーミンはフィンランドの作家トーベ・ヤンソンによる「ムーミン・シリーズ」のキャラクターで、一般的に可愛いキャラクターだと思われていると思います。
ムーミンと劇中のトロル(ティーナとヴォーレ)は全然似ていないと思うかもしれません。
しかし、トーベ・ヤンソンが初めてムーミンを描いたのは幼少期。
弟と喧嘩したときにトイレの壁に最も醜い生き物としてムーミンを書きました。
トーベ・ヤンソンの手がけたポスターや雑誌の表紙に時々黒い小さいキャラクターが登場しますが、それが初期のムーミンです。
トーベ・ヤンソンの生まれはフィンランドのヘルシンキですから、やはり北欧の伝承として「トロールは醜い生き物」という認識があったのかもしれませんね。
内側と外側
トロルやエルフの住む世界は果たして本当に私たちの住んでいる世界と同じなのでしょうか。
北欧の伝承では世界は同心円状に内側と外側に分かれていると言われています。
神々と人間が住んでいる世界を「内側」
トロルなど人間ではない種族が住んでいる世界を「外側」
というように分かれているというのです。
そして、重要なのは山(森や林)は内側と外側が交わる場所であるということです。
ティーナの家は山の中にありましたよね。
人間と人間ならざるもの、二つの世界・存在の間でどっちつかずであるティーナの立場そのものですね。
『ボーダー二つの世界』キャラクター
『ボーダー二つの世界』の主要キャラクターはティーナとヴォーレ。
この二人は似たもの同士である一方で、根本的に異なる部分があります。
タイトルにあるボーダー(境界線)という言葉がキャラクターにとって重要な意味を持ってくるのです。
ティーナとヴォーレについてそれぞれ説明していきます。
ティーナ
彼女について言うならば、
存在そのものや選択が曖昧で境界線(border)を明確に引くことが出来ない人。
ということでしょう。
スウェーデンの税関で働いており、人並外れた嗅覚を持っている女性です。
最初にスクリーンで見たときはずんぐりむっくりした怖い顔の人だな…という印象。
平気で虫を手づかみしたり、裸足で自宅付近の山を歩いたり、全裸で水辺に入ったり…
もともと他の人間よりも自然に対しての距離が近いことが伺えます。
私の中で凄くインパクトが強かったのは、隣人が産気づいてティーナの車で病院に向かうシーン。
人間の命がけの出産よりも、目の前の道をこれから通る鹿のために山道で一旦車を停止させるのです。
※この時はまだティーナがトロルであることは本人も私たちも知らない
このシーンで「あ、この人は人間なんかより自然や動物に対する優先順位が高いのかな」と認識します。
しかし、その一方で児童虐待や人身売買の摘発に協力したり、子供を売買したり虐待する人のことを「絶対に許せない」と言う面も持ち合わせており、「人間として育てられてきたトロル」という微妙な身の上をひしひしと感じさせます。
ちなみに、ティーナは人間界では女性側ですが生殖器だけみると男性側です。(この映画ではトロルは人間としての見た目とは逆の生殖器を保持し役割を担います。)
パートナーとの営みを拒んできたのは自分の体が他の女性と違うと認識していたからだと思われます。
ヴォーレ
彼について言うならば、
ティーナと対のようで、本質的には全く異なるトロルの中のトロル。
ということでしょう。
入港の際にティーナが強烈に反応したのがヴォーレです。
でも、持ち物を調べても明らかな違法性は認められない。(観客から見ても風貌から挙動から怪しさ満載ではありましたが…)
そして、後日ティーナと再会します。
ですが、ここで衝撃的なのがワームを木から採取している際にそれを食べるのです。しかもあろうことかティーナにも食べるように勧めて食べさせます。
『千と千尋の神隠し』でハクが千尋に「この世界のものを食べないと、消えてしまう」といって木の実を食べさせたように、ワームを食べるように勧めるヴォーレ…。
きっとヴォーレはティーナが自分と同じトロルであると知ったうえで、「こっち側」に引き込もうとしたのでしょう。
ワームを食べてしまったティーナはもう人間の側に戻れないと考えて。
最初に北欧伝承について書きましたが、ヴォーレは典型的なトロルの特徴的行動をしています。
彼の目的はトロルの種族を反映させ、人間を滅ぼすことに尽きます。
そのために人間の赤子と自身の未受精卵を取り換え、人間の赤子は売買に回す。
自分のことがバレそうになると躊躇いなく人間を殺す。
そして、そのためには人間の社会に最低限馴染むように生活する。ということです。
ヴォーレはティーナにとって最初はトロルの先生のような存在でした。
一緒に全裸で野山を駆け回り、水辺に入り、自分を解放して性交を楽しむ。
しかし、ヴォーレは人身売買の黒幕であるということが分かってから、いくら種族のためとはいえティーナの道徳観に反する行為をするヴォーレに完全に同調するということはなくなります。
ヴォーレはフィンランドに渡りますが、二人の子供をティーナに育ててもらうことで尚種族の繁栄を願うヴォーレは初志貫徹。トロルの中のトロルであるということが出来るでしょう。
ヴォーレの性についても触れておくと、見た目は男ですが、生殖器や機能は女性です。
税関の同僚が「膣があった」と報告していますし、かなり暗いですがまさかの無修正で出産シーンもあります。
特殊メイク
この映画ではティーナとヴォーレの外見を似せるために特殊メイクを施しています。
目と唇以外はマスクを撮影毎に4時間かけてメイクしたというのですから大変ですね…。
また、主演のエヴァ・メランデルはこの映画のために20キロ増量したそうです。
特殊メイクをしての演技はかなり大変だったでしょう。
ヴォーレについては殆ど胡散臭いニヤケ顔かしかめっ面なのですが、ティーナは嗅覚を使って善悪を判断するという描写があります。
鼻を獣のように鳴らして息を吸うのですが、その嗅ぎ方もすごく繊細に演じ分けていて驚きました。
鼻がぴくぴく動く様子や、唇の上が少し捲れそうになるくらい興奮している様子が表現されており、言われなかったら特殊メイクでマスクを着けているとは思えないでしょう。
まとめ
北欧映画というとポップな雰囲気や郷愁を感じさせる港町のロマンス的なのを想像してしまいそうですが、この作品はある意味日本的なおどろおどろしい要素を持った映画だと思いました。
そして、題名がめちゃくちゃ伏線を張っていると同時に、世の中にはいろいろな「ボーダー」があると同時に登場人物や私たち観客が「ボーダーレス」であると気づかされます。
ショッキングなシーンも多い映画で、見る人を選びますがいくつも印象に残るカットがありインパクトある映像体験になるはずなので観ていない人はぜひ観てください。
私の特にお気に入りは寝室の窓に映ったティーナとヴォーレの顔が重なって私たちを見据えるシーンです。
奇妙な感覚はあるものの、彼らがお互いに興味があり惹かれあっている美しいシーンだと思います。
この映画ではティーナとヴォーレの「違い」に最終的に目が行ってしまいがちですが、そもそも生物の根本は「同じ」ではないのでしょうか。
トロルも鹿も狐も種族の繁栄を願っており、誰も自分の種が絶滅してもいいとは思っていないでしょう。
部外者が領域を侵せば攻撃することもあるし、自分が生きるためには他の生物や草木を食べなければならない。
とてつもなく俯瞰してみれば、私たちもトロルも蟻も皆生きるためにしていることは同じなのかもな。
そんな風に思わせる映画だと思います。