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【レビュー】スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

この記事は盛大なネタバレを含みます。ご承知の方のみお読みください。

目次

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』ストーリー

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』のストーリーに焦点を当てて、概要から個人的に気になった以下の点について触れていきます。

●パルパティーンが生きていたという情報源
●フィンの「あいつらはやりすぎた」発言
●レイのライトセイバーが黄色であること
●レイがスカイウォーカーを名乗る意味

概要

ファースト・オーダーの最高指導者となったカイロ・レンは銀河各地に勢力を広げていった。
そしてシスの謎やファースト・オーダーの成り立ちを調べるため惑星ムスタファーへ向かう。
この星は祖父ダース・ベイダーの拠点があり、ウェイファインダーを手に入れるのであった。
そして、カイロ・レンは何度もレイとフォース・コンタクトをとり惑星エクセゴルの存在を知ることになる。
惑星エクセゴルでは死んだはずのパルパティーンがカイロ・レンを迎える。
そして、ファイナル・オーダーの存在をカイロ・レンに明かし、彼にその艦隊を与える代わりにレイを殺すように命じるのであった。

一方、レイは惑星エイジャン・クロスにてレイアの元でジェダイの訓練に励んでいた。
そしてルークの残したジェダイの聖典を読み解くうちに、銀河の道領域にシスの星があり二つだけ作られたウェイファインダーがあればその星にたどりつけることに気づく。
ポーとフィンはファースト・オーダー内部のスパイから「パルパティーンが生きている」という情報を入手する。
協力者に助けを求めるべく、レイアの助言に従い惑星パサーナへレイ、ポー、フィン、チューバッカ、BB-8、C-3POがミレニアム・ファルコンで出発した…。

気になった点

パルパティーンが生きていたという情報源

ポーとフィンはスパイから「パルパティーンが生きている」という情報を得ます。
しかし、この情報を得ている時点(情報があるとスパイ側から接触があった時点)ではカイロ・レンはエクセゴルから帰還していなかったような…?
そうなると、誰よりもパルパティーンの計画について実は詳しかったプライド将軍の行動からこの情報が漏れたとしか考えられません。
一介のファースト・オーダーがプライド将軍の動向を探ってこの情報を手に入れるなんて、かなり優秀。
と勝手に思ったりしていました。
まあ、そのあと可哀そうに打ち首にされてましたけど。

フィンの「あいつらはやり過ぎた」発言

話の流れ的にレイアが最後の力をカイロ・レン(ベン・ソロ)への呼びかけに使い亡くなった後、惑星キジミーをパルパティーンの命令でスター・デストロイヤーに破壊破壊される。
このことに対して「あいつらはやり過ぎた」と怒りを持って話すのですが、レイア姫とハン・ソロのファンであった私としては別の意味に勘違いしそうになりました。
「あいつら(=ディズニー)はやり過ぎた(殺し過ぎた)。」
と自分の感情を乗せそうに(笑)

三部作始まって、ハンも殺され、ルークも殺され、C-3POもルークたちとの記憶をなくし、レイアも死に。
何といっても残されたチューバッカが可哀そうだし、何でも殺せば泣けるってもんじゃないぞ!
とこの時点でかなり怒り心頭していました。
そしてこの後カイロ・レン(ベン・ソロと言ったほうが正しいかもしれない)も死にますし。

後述しますが、ハンに関しては覚悟していたし、そろぞれ役者さんもお亡くなりになったり高齢だったりするのは分かるのですが。
だからといって明確に劇中で殺さなくても。と思うわけです。

せっかく旧三部で殆どの主要キャラが生き残って大円団だったのに、ディズニー許すまじ。
※ちなみに「アベンジャーズシリーズ」において私の推しだったアイアンマンを殺されたのも根に持っています。

本当に「あいつらはやり過ぎた」感が強すぎました。

レイのライトセーバーが黄色であること

最後のシーンでルークとレイアのライトセーバーを地面に埋めて、新しいライトセーバーをレイは手にします。
今まで例外(メイス)を除いて劇中ライトサイドで主に使われたのは青と緑です。

以前ジェダイ本拠地で警備隊が用いていたのは両刃型の黄色のライトセーバーはありました。
しかし、今回レイのライトセーバーは両刃ではないし、警備隊でもありません。

想像ですが、ルークとレイアのライトセーバーを埋めたところをみると、レイの新しいライトセーバーの材料(クリスタル等)は二人のものから流用したと考えるのが妥当でしょう。
二人のライトセーバーは青色ですので、青色になるのが妥当な気もします。
私が考えられる黄色になった理由は三つ。
1.ジェダイの時代が終わり、レイ・スカイウォーカーとして新たな境地に突入したため
ジェダイのライトセーバーが青色・緑色であったのと同じように、
レイはレイ・スカイウォーカーとして生きる、つまりジェダイとしては生きない。
という気持ちの表れであると受け取ることが出来ると思いました。

2.レイの命はカイロ・レンによって生かされたものであるため
レイはパルパティーンとの対戦の際、一度命を落としかけます。
そこをカイロ・レン(ベン・ソロ)によって命を吹き込まれることにより復活するのです。
仮にレイ本来のライトセーバーが緑であった場合カイロ・レンの赤のクリスタルとの反応で黄色のライトセーバーになった。とも考えられるのではないでしょうか。

3.パルパティーンの子孫としてのレイの色が反映されたため
色の反応としては2で述べた緑と赤の反応に他なりませんが、赤色の要素はレイのそもそもの出生であるダークサイドの要素が出ているためとも考えられます。
ルークにもカイロ・レンにもレイは「ダークサイドの素質がある」と思われています。
それは出生によるものでもありますが、もしかしたら彼女自身の本質かもしれないということは拭いきれません。
ウェイファインダー入手の際にレイは自身のダークサイドと対決していますし。
そういった意味で黄色になったとも考えられなくもないでしょう。

レイがスカイウォーカーを名乗る意味

カイロ・レンはレイに対して「君の両親は名もない人たちだ。君もまた名もない一人に過ぎない」という意味のことを散々語り掛けていました。
実はパルパティーンの子孫ということをカイロ・レンが知っていたと考えると、これらの文言はレイをダークサイドへ引きずり込むための口実でもあり事実でもあった(レイ自身が両親のことを「名もない人たち」と認識していた点)と思います。

個人的にはこの初期の認識通り「ただのレイ」として生きてほしかったと思ってしまいます。

彼女があえてスカイウォーカーを名乗る意図としては、
1.ジェダイとしてではなく新しい世代という意味を込めてスカイウォーカーを名乗った
2.自分と対であり、生かしてくれたカイロ・レン(ベン・ソロ)の出生を取ってスカイウォーカーを名乗った
3.自分をジェダイとして育てようとしてくれたルークとレイアに敬意を表してスカイウォーカーを名乗った
ということが考えられると思います。

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』キャラクター

この続三部作がいったん幕を閉じた段階で、主要キャラクターのことを個人的に考えてみました。
カイロ・レンとレイ、そして最初はヒーローになると思われていたフィン。
更にファンが一番注目していたカイロ・レンとレイの関係性について考察しています。

カイロ・レン

最初に出てきたときは不安定すぎて、かつダサすぎて「なんじゃこいつ」と思ってしまったのを申し訳なく思います。
すぐにキレる(これはあまり変わらない)し、マスクを簡単に脱ぐし。
彼は内面にフォーカスすると母と父の愛を知っているにも関わらず、素直に受け入れることが出来ないコンプレックスを抱えているがために、ダークサイドへ惹かれていっています。
しかし、彼の出生がレイアとハン・ソロの子供であり、ジェダイとして修業させられていたことを考えると、ジェダイとして大成する以外の道はやはりダークサイド以外なかったのではないかと思えます。
一応、どこかの星で一介の民として生き延びることもできたとも思いますが、彼は強いフォースを有しているという自覚があったでしょうしシス側も彼を放っておく訳がありません。(パルパティーンが彼を利用しようとしたように)

そういう意味で中途半端なままダークサイドへ移行してしまった結果がカイロ・レンを生み出したと言えるでしょう。

そしてフォース的な面でいうと、レイと対局にある故にどうしようもなく惹かれあってしまうということが言えます。
カイロ・レンはレイをダークサイドに。レイはカイロ・レン(ベン・ソロ)をライトサイドに。

今作ではレイアの声を聞いたこと。
レイに命を救われたこと。
自分の記憶としての父(ハン・ソロ)と向き合うことが出来たこと。
これらを通じてベン・ソロとして生きることを決意します。
それを証明するかのように自らのライトセーバーを捨てレイの向かうのです。

俳優のアダム・ドライバーはスター・ウォーズシリーズや、それ以外の映画でみて凄く演技が素敵(どことなく素朴で優しい雰囲気がある)だし、もっとスター・ウォーズでもそういう彼を観たいと思っていた矢先。
今回のベン・ソロとしての演技はハン・ソロをかなり彷彿とさせるものでもあり、最後の笑顔が私の想像していたベン・ソロそのものだったのでかなり救われたといっても過言ではありません。

レイ

最初は「何物でもない」という点を強調して出てきましたが、今作で「パルパティーンの子孫」であると暴露されたため、「いや、全然何物でもあるし、大物だよ!!」と突っ込みが入りそうな気もします。

女性主人公として、また新たな時代の主人公としてどのように成長していくのかとても楽しみなキャラクターでした。
結果として彼女がジェダイとしてでもなく、シスとしてでもなく、スカイウォーカーとして生きることになったことはこの世界にどのような影響をもたらすのかまだ分かりません。

レイはそもそもカイロ・レンと接触することで自分のダークサイドを認識しているし、そういう面があることを否定し続けるのに必死でした。
一方で自分の親に捨てられたものの、人からの愛は素直に沢山受け入れてこれた人でもあります。
彼女は師匠という形ではありますが、ルークやレイアから丁寧な指導を受けていますし、ハン・ソロとの関係に至っては本当の親子のように可愛がられていました。
そしてそういう愛情を素直に受け入れることが出来る反面、組織(レジスタンスやジェダイ)として生きることが苦手でもある。
生来一人で生きてきたという自負が彼女にはあったのではないでしょうか。
ガラクタ集めでもなんでもやって生きてきた。社会の枠組みに所属して生きるのは自分らしくない。
そのように考えていても不思議ではありません。

今作でも一人でウェイファインダーを探しにいってしまうし、カイロ・レンとの戦いのときはフィンを突き放します。
自分と向き合うこと・自分と対としてのカイロ・レンと向き合うこと。
に関してかなり固執して、自ら孤立してしまうキャラクターだと思いました。

フィン

「フォースの覚醒」ではレイと切っても切り離せない絆があると思われたキャラクター。
ファースト・オーダーから抜け出してきて、自分なりの正義を持っている。(正義のためなら昔の同僚も殺すという…)

最初は旧三部作にはないレイとフィンの掛け合いは若者らしく、いい意味で旧三部作の古臭さみたいなところを払拭してくれるかと期待していました。
恋愛面においてもフィンはレイに好意を抱いており、告白目前までいきますが結局実ることはありませんでした。

続三部作も進むにつれてフィンの重要性みたいなところが減ってきてしまったように思います。
なんとなくかませ犬的な役割で終わってしまったフィン…。
個人的にはもっと彼の内面を掘り下げてほしかった。
特にスター・ウォーズ全部に言えることでもありますが、「正義」というものがかなり曖昧で独りよがりのものであるということをフィンが一番表しているキャラクターであったとも思うのです。

「ファースト・オーダー」から抜け出したい。無意味な殺戮を止めたい。
そう思っていながらもレジスタンスのためにファースト・オーダーの人々を殺すのには躊躇はない。
彼にとってレジスタンスは正義そのものであり、自分の居場所であると認識しているのでしょう。
だからこそ皆を守りたいという使命感もあり、ポーや他の古参ともうまくやれるのだと思います。

今作に関しては「レイのことを想いながらも、レイはベン・ソロと強い絆があり、自分のことは大切な友達としてしか見られていない」という可哀そうな立ち位置で終わってしまったことを残念に思います。

レイとカイロ・レンの関係について

レイとカイロ・レンは本当に存在そのものが二人で一つという構造が成り立っているということが言えます。
特に「家族的な愛」に関して正反対の態度を取っているということが言えます。
カイロ・レンは、親から愛情を注がれながらも自らの使命に苦しんで素直に受け入れることが出来ませんでした。
一方で祖父であるダースベイダーに憧れを抱いている。
レイは自身の親から見放された(実際は愛情により手放されたともいえる)がハン・ソロやルーク、レイアからは大切にされてその期待にこたえたいと思っています。ただし、血筋であるパルパティーンに対しては完全に敵対している。

彼らはお互いを通して、自分自身と向き合うような感覚があったと思います。
フォースコンタクトをしていくごとに相手が自分の一部のような、なくてはならない存在に昇華されていきました。

その集大成として、パルパティーンとレイの対決にベン・ソロはかけつけます。
レン騎士団とはレイから受け取ったライトセイバーで一戦交えますが、パルパティーンに対しては攻撃していません。
ただ、レイの隣に駆け付けるだけです。
それだけでレイは心強く思い、パルパティーンに打ち勝つ力を得ることができるのです。
その瞬間、観ている私たちも明確にレイにはベン・ソロが必要だったのだと知ります。
そしてカイロ・レンはただレイの横に並び、彼女を精神的に支えるためだけのためにベン・ソロとしての自分を取り戻す必要があったのだと。
このパルパティーンとの対決の場面こそ、二人の関係の本質が現れているシーンだと感じました。

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』ハン・ソロの登場

私は『スター・ウォーズ』シリーズの中で一番好きなキャラクターはハン・ソロです。
それが続三部作においては『スター・ウォーズ フォースの覚醒』の時点でハン・ソロは死んでしまいます。
当時、映画を観終わってそれはそれは落ち込みました。
もうこの先の『スター・ウォーズ』シリーズは見ないかもしれない。
そう思ったくらいです。

それが今回、ハン・ソロがカメオ出演(といってもかなり重要なシーンで長い時間の出演)を果たしています!!!!
ハン・ソロの女と言っても過言ではない(勿論一番はレイア姫だよね。それは承知です。)私の素直な感想と、なぜカメオ出演なのかについても考えてみました。

ハン・ソロ推しの筆者の感想

母レイアの最期の声を聞き、レイとの戦いに破れたベンが自身の記憶である父ハン・ソロと対峙します。
カイロ・レンとしての彼は祖父であるダースベイダーに憧れていたのも事実ですが、ベン・ソロとしての彼は父であるハン・ソロに憧れていたのもまた事実なのです。
このシーンで父への憧れと愛を自覚しながらも、何も言えないベンにハン・ソロは優しい笑顔で答えます。
「I know.」と。

このシーンはベンの記憶であるからこそ既視感があるものの、アーカイブ映像などではなく今回新しく撮影されたものです。
私はベン・ソロ(かつハリソン・フォード)の大ファンである。
またこの目で動いているハン・ソロを観ることができたという事実だけで、号泣してしまいました。

ご存じのようにハン・ソロの「I know.」は愛の言葉であり、ベンにとってしっかりと受け入れなければならない言葉だったのでしょう。
この場面を作ってくれたという事実には、さすがにJ.J.エイブラムスに感謝したいと思いました。

なぜエンドロールに名前がないのか

今回、新しく場面を撮影していてあれだけ全面に出ていればエンドロールに名前が出ていてもおかしくない。
視力の悪い目を皿にして、エンドロールにハン・ソロの名前を探したが見つからなかった。
更にパンフレットには載ってるだろうと購入したが、キャラクター紹介すらもない…。
これは、完全にカメオ出演という形をとられてる。
きっとハリソン・フォード自身の意思を尊重した形でこうなったのだろうと想像しました。

元々、旧三部作の終わりにハリソン・フォードは「ハン・ソロを殺してほしい」と言っていたといいます。
結局大円団で終わりましたが、続三部作の「フォースの覚醒」ではその思いが果たされました。
そういう意味で、今回の「スカイウォーカーの夜明け」に改めて出演してくれるというのは奇跡とも思えます。

出演はするが、復活はしない

ただただ、カイロ・レンがベン・ソロになるために手を貸してくれたハリソン・フォードには感謝したい。
ハン・ソロのファンとしてはスター・ウォーズを締めくくるこの作品に、名前を連ねてほしかったという欲がないといえば嘘になるけれど。

続三部作を通して

リアルタイムでは観ていないけれど、ルーカスの作るこだわりの強い世界と王道の銀河の冒険を子供心に楽しんだこと。
続三部作に備えて、「ファントム・メナス」から見返したこと。
どれも素敵な映画の体験だったし、その続編がリアルタイムで大人になった私が劇場で観ることが出来ました。
そのことは本当に運がよかったと思うし、続編を撮ってくれた製作陣やディズニーには感謝したい。

三代にも渡るスカイウォーカーの物語を、このような原点回帰のような形で締めくくるのはある意味安定した終わり方なのかもしれないと思います。
ただし、衝撃的な新しさというものは「フォースの覚醒」を見たときよりもなくなってしまったように感じました。

レイという出生の分からない女性主人公。
そして彼女を支えるのは名前もない元ファースト・オーダーの男の子。
この二人の掛け合いはまさに現代劇であり、新しい風を予感させるものがありました。
しかし、その一方で旧三部作をお手本とするような面もありどちらにこれから転んでいくか、不安なところがあったと思います。

何度でも言うけれど、続三部作では人を殺し過ぎた。
それだけは旧三部作のファンからすると、許すことができません。
私は作品の中で生きていてさえくれれば、そのキャラクターがその物語のあとどのように生きていくかを想像できる。
キャラクターが公式として死ぬということは、その後を想像する余地を奪われたことになる。
「もし、生きていたら」という想像は出来るが、なるべく公式の設定に逆らうようなことはしたくありません。

そして続三部作で改めて思ったのは、技術が進歩したからといって心が揺さぶられる作品が撮れる訳ではないということ。
「スカイウォーカーの夜明け」ではデス・スターの残骸の上でレイとカイロ・レンが交戦するシーンがあります。
とても迫力があり、ポスターとしてもよい画が撮れているなぁと思ったもののハッとする程の感動はありませんでした。
また、他にもスター・ウォーズシリーズを撮るに相応しい監督はいたと思います。
ただし今回はスター・ウォーズシリーズのファンが集まって、自分の好きなスター・ウォーズを再現したような形に奇しくもなりました。
それはそれで楽しめる部分は多くあったので良かったし、この続三部作で新たなスター・ウォーズファンを獲得できたならそれも作品全体としてはプラスになった面もあると私は感じました。

今後、スカイウォーカーとしての物語は語られないのか。
旧三部作のメンバーから殆ど新しいメンバーへと入れ替わった今、語られるのはどんな物語なのか少しだけ興味はあります。