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韓国映画『はちどり』考察・感想 中学2年生と家父長制社会について考える【ネタバレあり】

韓国映画『はちどり』考察・感想 中学2年生と家父長制社会について考える【ネタバレあり】

こんにちは。
映画大好き関西OLのめぐみ(@megumi_no)です。

ずっと話題になっていた『はちどり』を観てきました!!
最近の韓国映画は話題になることも多いですし、良作も多く日本でも大きな映画館でかかるようになりましたね。

今回は主人公の中学2年生という年齢と、1994年の韓国の社会について考えながらレビューをしていきたいと思います。

以下ネタバレを含みます。
未鑑賞の方はご承知のうえご覧ください。

目次

映画『はちどり』あらすじとスタッフ・キャスト

はちどり』のあらすじスタッフ・キャストについてお話していきます。
特に今回、キャストの皆様の演技が本当に良くて…。
私は一気にキム・セビョクさんのファンになりました。

あらすじについては私たちには少し縁遠いかもしれない韓国の90年代の情勢についても後々触れていけたらと思っています。
同じアジアの国として、良くも悪くも共通点が多いからこそ日本でも受け入れられる物語になっていると私は感じました。

あらすじ

1994 年、ソウル。家族と集合団地で暮らす14歳のウニは、学校に馴染めず、 別の学校に通う親友と遊んだり、男子学生や後輩女子とデートをしたりして過ごしていた。 両親は小さな店を必死に切り盛りし、 子供達の心の動きと向き合う余裕がない。ウニは、自分に無関心な大人に囲まれ、孤独な思いを抱えていた。

ある日、通っていた漢文塾に女性教師のヨンジがやってくる。ウニは、 自分の話に耳を傾けてくれるヨンジに次第に心を開いていく。ヨンジは、 ウニにとって初めて自分の人生を気にかけてくれる大人だった。 ある朝、ソンス大橋崩落の知らせが入る。それは、いつも姉が乗るバスが橋を通過する時間帯だった。 ほどなくして、ウニのもとにヨンジから一通の手紙と小包が届く。

引用元:『はちどり』公式サイト

本当にストーリーは言葉にしてしまうとこの通りで、あっけないのですが映画としては細かい心情が役者とカメラを通してすごく瑞々しく表現されています。

スタッフ・キャスト

キム・ボラ

今作が初の長編監督作品となるキム・ボラ監督は新時代の女性監督です。
短編映画『リコーダーのテスト』で注目を集め、今作『はちどり』は『リコーダーのテスト』で9歳だった少女ウニの続編ともなる物語になります。

またキム・ボラ監督は今後も「人間に対する深い洞察のある作品を撮りたい。引き続き女性主人公の作品になるだろうと思う。」と発言しています。
日本でも韓国でもフェミニズムは注目を集めており熱も増しています。
このような状況下で韓国だけではなく世界で共感をうむことができると考えているからでしょう。
そして何より、女性を主人公としたそのようなドラマティックな映画はまだ少ない。
どうしても恋愛映画に寄りがちになるため、もっと人間の本質を映すような映画を撮ってくれるのは映画ファンとしても嬉しい限りです。
そして、いつか戦闘シーンのほとんどない戦争映画を撮りたいとも発言しているのも興味深く、今後の作品も是非日本で上映して欲しいなぁと感じました。

ウニ役:パク・ジフ

2003年生まれのパク・ジフさん。
きっと撮影当時は14・5歳だったはず…。
等身大で演じられたんだろうなぁと感じました。
ちょっと幼顔で眉間やおでこにニキビができているのが中学生っぽい。
なんかそれすらも含めていいなぁ。
そして黄色のリュックがすごく印象的でした。
彼女絶対に歩きながらリュックの紐引っ張ってるんですよ。あれがもの凄く可愛いんです。

ヨンジ役:キム・セビョク

はちどり』観た人は全員ヨンジ先生のこと好きになってる説。絶対にあると思うんだ。
最初は階段の踊り場でタバコ吸ってて、冷静な感じの先生だけどちゃんと自分と向き合ってくれる大人。
この映画で初めてキム・セビョクさんの存在を知った私ですが、初見のとき「寺島しのぶに激似だ!!」と思ってしまったのですが、きっと目と輪郭が似てるんだろうな…。
そう思った同士はいませんか??

とにかくヨンジ先生もキム・セビョクさんも大好きになってしまったので、彼女の他の出演作品も観てみようと思います。
化粧で全然顔が違うのでぱっと見で見分けられる自身はありませんが…。
日本でも篠原涼子さん主演でリメイクされた『サニー 永遠の仲間たち』の元になった韓国版がデビュー作とのこと!!
観てみたいですね。

映画『はちどり』考察

はちどり』の考察ですが、今回は主に3つの観点で考察していきます。

まず、なぜウニは中学1年生でもなく3年生でもなく2年生なのか??
ここが物語上かなり重要な要素になってくるので押さえておきます。

そして1993年以降の韓国社会の情勢です。
物語を追っていくうえで、そして登場人物の背景を紐解くうえでは欠かせない要素です。
なぜなら物語は終始ウニの目線でのみ語られるから。
彼女や周囲の大人が言及しない限り語られない断片的な要素が多いのです。

最後に家父長制について。
中学2年生のウニの周囲の環境は家庭・学校・漢文塾が主な構成です。
特に家庭環境は人格形成において大きな影響を与えます。
日本とも少なからず共通する部分があるため言及します。

●中学2年生という時期
●1993年の韓国社会
●家父長制について

それではこの3点についてそれぞれ私の感じたことを踏まえながら映画『はちどり』を振り返っていきます。

中学2年生という時期

主人公のウニは中学2年生です。
彼女は設定としては学校に馴染めていないとなっています。
確かに登下校なども一人で、学校に何でも話せるような友達はいない状態。
でも放課後に隠れてデートする彼氏はいる。

中学1年生は小学校から中学校に上がってドキドキワクワクの新世界へ突入!
周囲の人も入学おめでとう!と言ってくれたり、何かと大人も気にかけてくれる時期です。
中学3年生はそれこそ次は高校受験が待っているので両親からも期待とプレッシャーをかけられる。
それこそ流れとしては日本の中等教育と一緒と考えてもらって差し支えありません。
※韓国の中等教育についてはスタディピアを参照。

映画の最初のほうで叔父さんが家を訪ねてきて帰り際にウニに声をかけるシーンがあります。
「何年生?」と聞かれてウニは「中学2年」と答えると、叔父さんは意味深に「中学2年か、大変だな。」と言います。
(うろ覚えですが、とにかく中学2年生は何かあると匂わせる言い方でした…)

叔父さんは中学2年生の抱える問題をきっと理解していたんでしょうね。
ウニがこれから抱えるものを見越して、少し心配そうな目をしていたように思いました。

中学2年生は大人からはまだまだ子供扱いされる年
でも本人はちょっとずつ社会や世界のことに目を向け始めて大人に近づいてきている。
受験も入学も何もなく親からあまり目をかけてもらえない。
そんな中途半端な年が中学2年生なのです。

それを踏まえてウニの家庭での位置付けを考えてみましょう。
親は皆大学受験に向けての兄のことばかり構っている。
姉は不良で素行が悪く、ウニは目立たない一番下の存在というところでしょう。

冒頭でウニが何度も玄関のドアを叩いて凄く慌てた様子で「お母さん!意地悪しないで!!開けて!!」と言っていますよね。
実際は集合住宅の自宅の階を間違えてピンポンしてしまっただけだったのですが、仮に親から悪ふざけで締め出されたとしてもこんなに切羽詰まった状態になるでしょうか??
私だったら笑いながら「ちょっとーー開けてよ(笑)」みたいな感じだと思います。
これは実体験からでしかありませんが、これって普段から自分の親に疎外されていると感じている証拠だと思うんですよね。
じゃないとそんな必死でドア叩いたりピンポンしませんもん。

それと同時にこの集合住宅の部屋ごとに家族の物語が沢山あるんだ…と思わせるオープニングでした。

学校ではどうでしょうか?
中学2年生でも学校は受験一色。
韓国は超学歴社会なのでとにかくいい高校、そしていい大学に行って、いい会社に入る。
ただそれだけを実績としてみられる。

放課後に遊んでる人、タバコを吸う人、恋人がいる人は不良。
とにかく勉学に打ち込むべし、と担任の先生は言います。
しかも抜き打ちで不良を生徒同士に告発させるという陰湿ぶり。

ウニは恋人もいますし、反抗的になって万引きやクラブ通いもします。
先生や学校的には完全な不良ですね。
※そもそも万引きは犯罪ですが。

そんな抑制された家庭や学校の中で家庭や学校以外の世界に目を向けていくことになるのは、彼女にとって必然ではなかったでしょうか。

1993年以降の韓国社会

ウニが映画の中で生きている時代は1993年以降
ちなみに私は1992年生まれなので、ウニは私よりも13歳はお姉さん。
つまり現代では41歳くらいになっているのでしょう。
1993年の日本はバブル崩壊直後の影響がどんどん出てきている頃です。
それと同様に韓国でも経済成長の絶頂期でもありました。
1988年にソウルオリンピックが開かれて以降、まだまだ好景気に沸いていた時代です。

ウニの住む南部では、裕福な人々が多く暮らしておりいわゆる良い学区の地域
それと共に地元で農業をしていた人たちは都市開発のため立ち退きを迫られている様子が通学路で描かれていました。
貧富の差が好景気を経てより大きくなってきているということが伺える描写です。

またウニが手術で入院している間に北朝鮮の国政の指揮を執っていた金日成死去のニュースが舞い込んできます。
映画内では触れていませんが、前年の核兵器開発疑惑に引き続き緊張感のある動きです。
徐々に時代が次の世代に変わってきている…という予感が映画全体としてありますね。

そして映画『はちどり』のクライマックスのソウル市の聖水大橋の崩落事故
経済成長を優先するあまり施工時の手抜きを行い、それによって未来を背負っていく多くの人命が失われる悲しい事故です。
はちどり』ではこの社会情勢とウニの家庭環境それぞれの歪みがリンクしていくような構成になっています。

家父長制について

ウニの家庭環境で顕著なのは家父長制であるということ。
更に言うと徹底的な男尊女卑が認められてしまっているということです。

父親の言うことが第一で、母親はどんなに優秀でもそれに従うしかない。
(叔父が言うにはウニの母親はとても優秀だった。大学にも行くべきだったとのこと。)
息をするように男性が権力を持っているため、ウニも姉も家庭には居場所がありません。
食事に対して意見するのも父親、家族のスケジュールを決めるのも父親。

個人的に一番ゾワっとしたのは両親が子供の教育方針で喧嘩の末に母が父に抵抗して花器をぶつけて怪我をさせる一連のシーン。
子供たち(特に元凶になった姉)は泣き叫んでいるし、父親は流血してるし阿鼻叫喚という様…。
そんな喧嘩の翌日でも両親は並んでテレビを見て、お互い向き合うことはない描写がやるせなく映りました。
※ちなみに父親は浮気をしている様子が『リコーダーのテスト』で描かれています

更に辛いのは父親から「ソウル大学に絶対入学するんだ!」とプレッシャーをかけられている優等生の兄が、親の見ていないところでウニに暴力を振るっているということ。
良い大学に受からなければいけない。
良い生徒・子供でいなければいけない。
というプレッシャーやストレスのはけ口が暴力、そして家庭内で一番力を持たない中学2年生のウニであるということです。
しかもウニの同級生の女の子も家庭で暴力を受けるのが日常になっていることが二人の会話から分かります。

家父長制の歪みは女性だけでなく男性にも現れているということが随所に描かれるのも少し新鮮でした。
私はどっちもどっち論は好きじゃないです。
この状況において男性を擁護するつもりもありません。
でも、結果として男性も抑圧された中で全ての発散口が家庭しかなく、どう感情を発散させたらいいか分からなくなっている。
だからウニの手術が決まった時、父はウニ本人を前にして号泣するし、兄は姉が橋の崩落事故で無事だったとわかったとき号泣します。
普段は泣くことも許されない彼らは、一見すると異常なタイミングで感情を爆発させているのです。

そしてウニは家族から暴力を受けることが日常である。
と思っていたがそれは”間違い”なのかもしれないと徐々に気づいていきます。
一つはかかり付けの医師に暴力を受けて鼓膜が破れた治療をしてもらうときに「こういう怪我をしたという証明書を書くことができる。必要な時は言いなさい。」と教えてもらったとき。
公的に暴力を受けた証明を持って”自分は家族から暴力を受けている”という事実がいつでも提示できるということを知ります。
もう一つはヨンジ先生から「もう殴られないで。」と指切りをしたときです。
自分も一人の人間として人権を主張するべきなんだ。自分を守るべきなんだと。

ウニは母を見て「これからは女性も権利を主張していかなければ。」と、母はウニを見て「この子が育っていく社会はもっと生きやすくなるように。」と思っているでしょう。
母は母としてしか家庭内では生きられず、唯一母や妻でなくなるのは外でのみ。
(ウニが外で「お母さん!」と呼び掛けても振り向かないのは、家庭外では母ではない自分でいるからですね。)
自分が自分として社会や家庭内で生きられる時代にウニが大人になった今、2020年はそうなっているでしょうか?
もう一度立ち返ってわたしたちが真剣に考えていかなければと感じます。

映画『はちどり』感想

はちどり』考察では3点に絞ってお話しましたが、ここからは本当に個人的な感想です。
中学2年生って本当に中途半端な年で年下の女の子から慕われるようなこともあれば、自分は年上の女性に憧れを抱いたりする。
しかもそれらは永遠のことではなく数カ月やもしかしたら数週間の短い期間で。
これは私も経験があるのでなんとなく分かります。
女子校出身者は結構わかる人多いんじゃないかな?
ウニのことを見ていてすごく自分の学生時代が懐かしく思えました。

そして私も自分の塾の先生がヨンジ先生だったら大好きになってると思う。

この映画の中でたった一人、ウニを一人の人間として対等に接してくれているのがヨンジ先生です。
彼女は変わり者として描かれています。
詳しく言うと、所持している書籍や労働運動の歌を歌うなどから学生運動に参加していて大学に入った後も休学したりしていたんだろうなぁとわかるのですが。
そういう意味で周囲の大人たちから疎まれる存在でもあったわけですね。
そして声を上げる立場の人間でもあった。
ある意味自分の後身としてウニの世代に自分の権利を主張していくことを教えたかったのだと思います。

ヨンジ先生とウニのやりとりで泣きそうになった(泣いてたかも)四つのシーンを紹介します。

●相識満点下 知心能幾人
●塾からの帰り道
●お見舞いと約束
●ヨンジ先生からのプレゼント

以上の四つのシーンを振り返ってみましょう。

相識満点下 知心能幾人

漢文塾の中でヨンジ先生が取り上げた一節です。
中国の臨済宗の大慧宗杲禅師が語った言葉だというもの。

意味は知り合いは世間にたくさんいるけれど、ほんとうに分かり合えている人は何人いるだろうというもの。

中学2年生にこれを考えさせるのは正直ハードル高いとは思います。
でもこの授業でウニは自分と他者との関係に改めて目を向けるようになる。

それは親友なのか。彼氏なのか。家族なのか。

自分を自分として一人のウニという人間として対等に扱ってくれる人でない限り、本当にお互いが分かり合えていると言えるだろうか?
ウニにとってその相手はヨンジ先生であっただけ。
その人と中学2年生という時期に出会うことが出来たのは一瞬の出来事でも奇跡で涙が出るほど美しいことだと映画を観終わって感じます。

塾からの帰り道

ヨンジ先生と一緒に塾から帰るとき「わたしたちは死んでも立ち退かない!」と書かれた横断幕を見てウニが「土地を取り上げられちゃうなんて可哀そう」と言います。
それに対してヨンジ先生は「よく知りもしないのに同情して可哀そうなんて言うもんじゃない。」と返すのです。

同情するのは優しいからとかいいことのようにとられがちですが、同情することで生まれることも何もないし無責任に同情して可哀そうなんて言われても嬉しくないですよね…。
なんかこういう切り替えしが出来る大人に自分はなれているのか、というとなれてない。
自分もまだまだ駄目だなぁと思ってしまいました。

その後にウニが「自分のこと嫌いになることない?」と聞きます。
それに対してヨンジ先生は「あるよ。何度もある。」と言うのです。
「そういう時に自分の心をみつめて”こんな心があるからいけないんだ”と省みる。」
「あとは自分の手を出して指を一本ずつ動かしてみる。何もできなくても指は動かせる。神秘的でしょ?」
ウニに対して何かを説くでもなく、自分のことを淡々と語ってくれる。
下手にああするといいよ、こうしたほうがいいとアドバイスされるより全然こっちのほうが心地いいですよね。

ヨンジ先生はウニのよきメンターとして映画内で機能しているなぁと思います。
もうこのシーンでヨンジ先生大好きボルテージがMAXでした(笑)

お見舞いと約束

ウニの手術後の入院中にヨンジ先生がお見舞いに来てくれます。
この時にウニに対して「もう殴られないで。」と立ち向かうことをお願いして約束をします。

私は『パラサイト 半地下の家族』の時もびっくりしたのですが、日本と韓国で作法が違うことが多いんですよね!
今作でもウニが反省するシーンであの正座して手を上げ続けるポーズあるんです。
それは知ってたのですが、指切りまで日本と韓国で違うとは!!!

小指で指切り

親指をハンコのように合わせる

お互いの手のひらをつけて引き合う

これで約束して、ハンコ押して、コピーして完了。
となるらしいです。

知らなかった!!!
ハンコ押す仕草がすごくかわいかったので私もやってみたいな…。

ヨンジ先生からのプレゼント

聖水大橋の崩落後にウニが先生にプレゼントした本の返却とともに送られてきたスケッチブック
一応伏線として塾でウニに対して何か得意なことはあるか聞いたときに
「絵を描くことが好き」
と言っていることから、スケッチブックというプレゼントは不自然ではありません。

でも姉が無事だった聖水大橋の自己でヨンジ先生が被害にあい亡くなっていたことが分かり、このプレゼントが別の意味を持ってきます。
これからの時代を描くのはウニの世代だと。
スケッチブックに自由に絵を描くように、自分たちの世代が切り開いた道の先をウニたちの世代が描いていけるようにというような願いが込められているように感じました。
大切なヨンジ先生の死を通してウニは自分が今ここに生きている奇跡、小さな日常の奇跡や美しい瞬間を知ることになります。
とても悲しい終わりでしたが、ヨンジ先生が素敵な言葉をウニに残してくれてウニの寂しそうな背中ではなくキラキラと輝いた眼をみることが出来てよかったとも思える終わり方でした。

ここまでヨンジ先生愛を語ったにも関わらず、一番号泣したのはウニの母が焼いたじゃがいものチヂミをウニがもぐもぐと食べるシーン。
ウニのようなじゃがいものチヂミをもぐもぐ食べているようなか弱く見える小さな存在が、精一杯羽ばたいてこれから成長していくのか…。
そしてそれを何も言わず見つめる母のことを考えるとドバーーっと涙が出てきたんです。
私だけでしょうか。

ウニという一人の少女を通してこれだけの人物描写がされているのはすごく力が入っている作品だと痛感します。
改めて今までの自分の生き方、これからの生き方を考えるにあたってみて欲しい作品となりました。