お久しぶりです。
映画大好き関西OLのめぐみ(@megumi_no)です。
久しぶりのブログ更新になってしまいました。
Twitterでは公言してましたが22時就寝をこころがけていたら、なかなかブログを書く時間がない!!
ということで今回は時間差になりますが、先月駆け込みで観た『パブリック 図書館の奇跡』。
私はプロフィールにもあるように映画の他にも本が大好き。
好きが高じて社会人になってから、近畿大学の科目履修生になり図書館司書の資格を取得しています。
司書資格を持つ人間として、図書館を舞台に繰り広げられる物語を見逃すわけにはいきませんでした。
ということで
なぜ、図書館を舞台にえらんだのか?
を軸に『パブリック 図書館の奇跡』を観ていきましょう!!!
以降の記事はネタバレを含みます。
未鑑賞のかたはご注意ください。
目次
『パブリック 図書館の奇跡』あらすじ・キャスト・スタッフ
『パブリック 図書館の奇跡』はタイトルにある通り図書館が舞台。
そして主人公は公共図書館で働く司書。
それだけ聞くと地味な映画だなーと思うかもしれませんが、全然そんなことない。
それにキャラクター各々が立ってるので、いわゆる敵キャラにもなんとなく「わかるところがある」という感じです。
あえて今回は敵キャラについては触れませんが(笑)
あらすじ
米オハイオ州シンシナティの公共図書館で、実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレスから思わぬことを告げられる。「今夜は帰らない。ここを占拠する」。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないというのがその理由だった。
約70人のホームレスの苦境を察したスチュアートは、3階に立てこもった彼らと行動を共にし、出入り口を封鎖する。それは“代わりの避難場所”を求める平和的なデモだったが、政治的なイメージアップをもくろむ検察官の偏った主張やメディアのセンセーショナルな報道によって、スチュアートは心に問題を抱えた“アブない容疑者”に仕立てられてしまう。やがて警察の機動隊が出動し、追いつめられたスチュアートとホームレスたちが決断した驚愕の行動とは……。
公式あらすじの時点で映画のストーリーを9割説明してます(笑)
予告もこんな感じでしたね。
なのでストーリーとしての笑える面白さとかはそこまでない。
なので観ながら登場人物の心情や、アメリカ社会の抱える問題を考える系の映画ですね。
スタッフ・キャスト
『パブリック 図書館の奇跡』は製作・監督・脚本・主演がエミリオ・エステベスです。
なのでこの映画は正真正銘のエミリオ・エステベスによるエミリオ・エステベスの映画!!!(噛みそう…)
残念ながら私がエミリオ・エステベス監督の映画を観るのは今作が初めてですが、監督経験は長く今回が監督7作目となるようです。
本作は2007年にロサンゼルス・タイムズに掲載されたソルトレイクシティ公共図書館の元副理事長であるチップ・ウォード氏のエッセイの一文からエミリオ・エステベス監督が着想を得たもので、フィクション。
でも「この人本当に司書なのかもしれないし、この事件本当にあったの?」と思うくらいリアル。
映画完成後に試写を観た3000人の図書館員と関係者は図書館の仕事を理解しスポットを当てた本作に感謝を述べたといいます。
それだけきちんとリサーチされた映画となっているのが分かりますね。
『パブリック 図書館の奇跡』の舞台が図書館の理由
図書館を“本が無料で借りられる場所”としてしか認識していない人は、きっとこの映画を観た後もなぜ図書館を舞台にする必要があったのか分からないかもしれない。
公共の施設なら市役所とかでも良くない?
と思っても、まあしょうがないのかな。
親切にも映画冒頭でテンポよく図書館司書としてのリアルな仕事を映し出しているので、図書館や司書に対しての知識がなくても物語に入っていけるのは幸い…。
そこに補足していく形で『パブリック 図書館の奇跡』が図書館を舞台にしている理由を考えていきます。
図書館司書の仕事
もしかしたら世の中の人のほとんどが
司書の人は座って受付してるだけ
司書の仕事は本を読むこと
と思ってるかもしれない。
確かに貸出の受付をすることもあるし、本だって読むだろう。
でもそれだけが仕事でないのが映画冒頭で分かる。
図書館に来る人は何を求めてくるか?
それは明確に“情報にアクセスする手段”である。
知らないことがあったら調べる。
当たり前かもしれないけれど、スマホやパソコンを持ってない人は?
Googleで調べてもヒットする情報がなかったら?
どの本から有益な情報が得られるか不明だったら?
そういう時こそ図書館司書の出番。
司書の主な業務で有名なのはレファレンスサービス。
利用者が疑問に思っていることを解決できるような情報そのものを提供したり、役に立ちそうな資料を提供するのです。
めちゃくちゃな質問も来るでしょう。
映画では「原寸大の世界地図が欲しいの!あるかしら?」という利用者に対して「ありますよ。“ここ”に。」という場面がある。
このシーンでは思わずクスッと笑ってしまった。
だって原寸大の世界地図って、原寸大なんだから今あなたが立ってる“ここ”こそが世界地図そのものですからね(笑)
レファレンスサービスの他にも
●担当分野の勉強
●司書としての技術研修
●入荷する資料の選定
●書架の整理
●催し物の準備と実行
●近隣学校との連携
●就職の支援活動
など…
沢山の業務を抱えています。
特に担当分野の流行や書籍に関しての知識は司書として欠かせません。
『パブリック 図書館の奇跡』では同僚のマイラが担当を変更して欲しいとスチュアートに掛け合う場面もありますね。
図書館が持つ場としての力
『パブリック 図書館の奇跡』はアメリカのオハイオ州にある図書館という設定ですが、ここでは馴染み深い日本の図書館を例にとります。
日本の「図書館法」では図書館は
図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資することを目的とする施設
と定義されています。
図書館としての役割は確かにこの通りです。
じゃあ図書館の持つ力は?
本の言葉の持つ力は?
私がこのように自由にネットで自分の言葉で発信できること、作家さん達が自分の言葉で物語を書き、それを改変なく読むことができること。
そしてそういった情報に“だれでも”アクセスすることができること。
思想の自由や表現の自由、情報の公開は自由と人権そして民主主義社会の前提なのです。
そういった意味で、アンダーソンが引用した作家トニ・モリスンの「図書館は民主主義の柱である」と言えますね。
そして本自体も自由や人権の象徴です。
例えばそういうものが保証されない時代、戦時中で言論や思想が検閲されるのが当たり前のときは特定の本(敵国の作家の著者や敵国の言葉そのもの)の所持そのものが禁止されました。
焚書といって『ジョジョ・ラビット』にも出てくる本を焼却する行為も検閲のひとつです。
もっと楽しく検閲について知りたい人には『図書館戦争』シリーズを読むのをオススメします。
図書館や司書、検閲について知ることができるのはもちろんキャラクターが皆輝いていて一気に読み切ってしまうくらい熱中できますから!!!!(笑)
騙されたと思って全人類に読んで欲しい!!←
ちょっと脱線しましたが、そんな力を持つ本や情報を扱う図書館という場。
そして少数者にも寄り添い、差別をせず、誰もが利用できる図書館に勤める人間としての司書だからこそ訴えるものがある昨品に仕上がったのだと思います。
図書館に立てこもることは許しても、図書館内で暴動は許さない。
無抵抗の姿勢で戦い続ける。
それが文字通りの丸腰というか丸裸で歌を歌うという対抗手段に行き着いたあの結末。
そしてスタインベック著の『怒りの葡萄』の一節をスチュアートが暗唱することでメディアに不屈の精神を伝える場面は良かったですね。
劇場で一人で「そうきたかーーーー!」と興奮していました(笑)
場から人への変化
ここまで書いてきたように舞台になっているのは図書館です。
でも図書館はこの物語を強く支える大きな要素でしかありません。
最初はスチュアートを通して図書館というもの、司書という仕事とは…という所を映し出していますが元々は社会において少数派の人間たち(今回の場合、寒空の下で凍えて死んでも構わないとおもわれているようなホームレスたち)がどうやって世の中に対抗するかを描いています。
その手段に武器として使うのは拳銃か?それとも現実逃避のための薬物か??
今回はパブリック(公共)の施設としての図書館からスチュアートやホームレスたちへの視点が移る点に醍醐味があると感じます。
民主主義の名のもとに小さな一人ひとりが図書館という場の力を借りながら、社会の大きな力に対抗していく。
そして彼らにはその力があるのだと私達観客に見せています。
最後に結局警察に連行されていったホームレスやスチュアートたちも、どこか嬉しそうなやりきった表情をしていましたよね。
図書館が、本が情報が、そして教養が人に何をもたらすのかこの目で見られた気がします。
『パブリック 図書館の奇跡』の感想
『パブリック 図書館の奇跡』は沢山の伏線が張られていて、それを丁寧に回収しているなぁと関心しました。
ある意味分かりやすいプロットだったのかな。
あとはちょこちょこ図書館の事件ネタを入れてきたのはクスッと笑ってしまいました。
その中でも特に私が注目したのは前述した図書館以外にはキャラクターのとその周囲の描写です。
私の気になった人を3人ピックアップしてご紹介します!!!
スチュアート・グッドソン
主人公の図書館司書のスチュアート。
前半くらいまでは落ち着いた淡々と仕事をこなす人というTHE普通なイメージでした。
でも家に帰ると生活レベルがハチャメチャに低い!!
ボロアパート(暖房器具が壊れているような)に住んでいて、なぜかベランダではトマトとバジル的ななにかを育てている。
しかもプレーンのピザを買ってきて、自分で育てた野菜を使ってマルゲリータピザを作る。
どんなドケチ精神やねん!!!!
そんなに薄給なんか…??
と観客を不安にさせます。
しかも昔はSEX依存だったという趣旨の発言まで。
その時点でこの人何者なんだ。と思います。
物語の転機となる後半で、スチュアートが一時期路上暮らしをしていたことが明らかになることでこの違和感に納得がいくのです。
一度路上暮らしまで生活レベルを落としたら、いくら資格を持って定職についてるといっても、いつまたホームレスに戻るか分からない。
その不安から来る生活だったのです。
主婦でミニトマト育ててるとか、ハーブ育ててるとかは聞きますけど、彼が育ててるのまあまあ大きめのトマトですからね(笑)
もう一つ、分かりにくいネタとしてスチュアートの部屋にあったコーランがあります。
図書館にヘイトスピーチの落書きがされたコーランが出てくるためそれの修復のため家にあるというのが直接の理由でしょう。
なぜわざわざコーランを写すの??
家でも仕事してるよということ??
と一瞬思いますし、そういう勤勉な一面もスチュアートの人物描写には必要です。
ですが映画としてはラストの全裸歌唱シーンに繫がる伏線となっていると私は考えます。
コーランは言わずと知れたイスラム教の経典です。
何が書かれているかというと、唯一神アッラーから預言者ムハンマドに対しての啓示です。
要するにコーランという経典はアッラーの言葉そのものであるという信仰のもとにイスラム教は成り立っています。
つまり人間が作ったものではない“神の言葉”であり、コーラン自体が奇跡を証明しているのです。
人間の言葉は神の言葉ではありませんので曲解になるかもしれませんが、スチュアートが最後の手段として「神によって人間に与えられた言葉で声で対抗しよう。」という結果につながるように思います。
ネタの仕込みが細かいです(笑)
そして邦題つけた人の着想はここから???
レベッカ・パークス
現場中継をしている女性記者です。
出世を狙っているでしょうし、今回の事件で注目されるのが嬉しい!!!という様子が丸出しです(笑)
SNSのフォロワーが増えたと熱心にネットは追っているのに、スチュアートがわざわざリークした内部の平和な様子の動画は見ないふり(というか見たくないんでしょうね)。
どれだけ事件を過激に報道して注目されるかに注力します。
レベッカからの電話での直接取材に応じたスチュアートも何を言っても捻じ曲げられるだけ。と悟り、スタインベックの『怒りの葡萄』を暗唱します。
何を言われているか分からないレベッカは
「いやーこれはなにかの暗号でしょうか?犯人は何を言いたいのか理解不能です…」
みたいなリポートをして誤魔化そうとしますね。
隣で聞いててヤキモキしていたスチュアートの同僚のマイラからは
「あんたスタインベックの『怒りの葡萄』も読んだこと無いわけ?!!!学校教育の必読書でしょ!」
「そんなチャチな頭じゃ現場記者なんて無理無理〜。せいぜいお天気お姉さんがいいとこじゃない?」
と嫌味を言われる始末(笑)
いや、すみません。
私もスタインベックは『エデンの東』しか読んだことないです…
(日本で言うところの夏目漱石の『こころ』みたいな位置づけなんですかね)
あとマイラその発言は地味にお天気お姉さんに失礼やで!!(笑)
と、まあ、置いといて。
レベッカは教養のないノリだけで生きてきた現代の若者の象徴にように表現されてて皮肉が効いていました。
ビッグ・ジョージ
突如常連のホームレスの中に現れた新入り。
そして彼はちょっとオカシイ。
自分は国の実験として目に特殊なレーザービームが仕込まれているので、人を直視しすぎると見られた人が死んでしまうと本気で考えています。
でもビッグ・ジョージと呼ばれるくらいの巨漢。
若いですし体格もいいので立てこもりの段になると、スチュアートから本棚を動かすのを手伝って欲しいと頼まれます。
余談ですがあれだけ本が詰まってる本棚はめっちゃ重いです。
だからビッグ・ジョージがキレて素手でやり合うことになったら負けます、絶対に。
でも自分は目からビームを出すと本気で思っていて、いつも下を向いているので社会にも適応でないのです。
『パブリック 図書館の奇跡』ではビッグ・ジョージが最も重要なキャラクラーだと私は考えています。
なぜなら本来社会の人の役に立つ人間が、何かの勘違いや手違いで社会に適合できないというのは現代の若者が大なり小なり抱える問題だからです。
そんなビッグ・ジョージに図書館司書であるスチュアートは自分の眼鏡を与えます。
「この眼鏡は特別な眼鏡だ。これをかければ人を見ても大丈夫なんだ。」と。
そして眼鏡をかけたビッグ・ジョージは最後まで立てこもりに自ら参加し、警察のバスに入る途中で初めて自分の目で世の中を、他人を直視するのです。
ここでスチュアートが与えた眼鏡こそ、社会的に弱者と言われるような人が社会に適合し出ていくための一つの道具であり手段。
つまり図書館という場でいつも司書が行っているような活動となんら変わりないのです。
いつもは図書館司書は情報を利用者に提供します。
就職に悩む人なら就職に有利な資格の情報や、就職活動そのものの支援まで。
ビッグ・ジョージにとっては人の顔や世の中を直視できる“魔法の眼鏡”がその支援だったのです。
あの眼鏡度数強くないんだろうなぁ。と眼鏡女子の私は思って見てましたが(笑)
『パブリック 図書館の奇跡』まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は図書館が舞台だったのでちょっと熱が入ってしまいました。
日本の図書館は“本貸し屋”と言われるくらい、貸出だけに注目されることが多いです。
司書も市立図書館は薄給ですし、最近では図書館の職員や運営を外注する動きも多々あります。
専門職として知識を必要とするにも関わらずこの状況では図書館が衰退していってしまうようで不安です。
海外の図書館は日本の図書館より何歩も先をいっています。
有名なのはニューヨーク公共図書館でしょうか。
こちらの取り組み(舞台裏)はドキュメンタリー映画化されているので、今回図書館に興味を持った人は観てみてくださいね!!!
『パブリック 図書館の奇跡』のような映画がきっかけで図書館に対しての意識や、現状が良い方向に変わっていったらいいなと思います。