『野性の呼び声』はアメリカの作家ジャック・ロンドンにより1903年に出版された小説をもとにした映画です。
今日に至るまで『野性の呼び声』は沢山映像化されてきました。
日本では1976年に『野性の呼び声 ほえろ!バック』として漫画化、1981年には『野性の呼び声 吠えろバック』としてアニメ版が放送されています。
ジャック・ロンドンの小説自体も出版以来一度も絶版になったことがないという。
教科書に載るほどに愛されてきた『野性の呼び声』の映画化として、今作はハリソン・フォードがソートンを演じている。
この記事では映画と小説で何が違うのか、今回どのように映像化されたのかを感想と共に紹介していきます。
この記事はネタバレを含みます。
未見の方はご了承ののちご覧になってください。
目次
映画『野性の呼び声』の感想
『野性の呼び声』は動物すべてCGで作られています。もちろん、主人公のバックもCGです。
正直本物の動物を使っていないので違和感あるかな?と不安になりながら観ました。
ちなみに動物がしゃべる映画で有名なエディ・マーフィ主演『ドクター・ドリトル』(1998)では90%以上実際の動物を使って撮影をしています。
とても大好きな映画でCGではない動物の演技のほうが見慣れてしまっているので、正直CGの動物はどうしても毛並みや動きに違和感を持ってしまいます。
今回のバックも実際の動物というよりも、キャラクター的な動きが多いように思いました。
CGの動物たちの演技にも着目しつつ、ストーリー展開についても感想を紹介します。
バックの動きと可愛さ
映画『野性の呼び声』では出だしからバックの性格が分かります。
町の皆がバックのことを知っていて「あの犬は判事の犬だから逆らってはいけない」と、一目置いている状態です。
バックが多少勝手な行動をしても許され、新聞は奪っても許される始末…。
家のなかでも我が物顔で暴れまわって、言うことをきかず来客向けの食事を主人の目を盗んで食べる。
一連の動きがとてもキャラクターっぽくて、「ディズニーのアニメ」だったらこんな動きするよなというオーバーな動きが多いように感じました。
ルンルン歩くような姿や、飛び跳ねるような動き、引きずられていくときの体を縮めるような姿など…。
その点ではリアリティはあまりないかもしれません。
ただし、犬を飼っている人ならわかると思うが犬にはかなり表情があります。
怒っている時は歯をむき出しにするし、悲しい時には情けない顔もする、嫌な時には蔑んだような目をすることもある。
そういう犬の特徴はしっかり捉えられていて犬好きなら観ていて飽きないでしょう。
人間のエゴに振り回されるストーリー
後ほど詳細に解説しますが、映画『野性の呼び声』では小説とストーリー展開などが改変されています。
バックは人間のエゴによって売り買いを繰り返され、過酷な運命をたどります。
時代はゴールドラッシュ真っただ中。
極寒の地に集まった人々は金に目がくらんでいる。
最期に出会った唯一信頼できるソートンも逆恨みと金に目がくらんだハルに殺されてしまう。
犬の先祖の呼び声に魅かれていくバックと、人間たちの俗物的なエゴが見事な対比で描かれています。
活力を持て余していたバックにとってどちらの世界が適しているかを観客に分かりやすく提示してくれています。
監督のクリス・サンダースはディズニーの『ライオン・キング』や『アラジン』の原案を担当しています。
なんとなくストーリー展開やキャラクター設定がディズニーっぽいと思ったのはそのせいかもしれません。
王道のストーリー展開なので観ていて「あ、この人絶対に後で殺される」とか「この人後で復讐にくるな」と分かってしまう悲しさがありました。
これは小説も一緒なのですが、バックに関わる登場人物が多くてまとまりがないようにも感じました。
一応メインのハリソン・フォードに関しては、バックとの関係に影響する伏線のようなシーンがちょくちょく挟まれているのである意味原作よりも唐突でなく、この後の重要人物であることが分かるような演出にはなっています。
予告の時点ではハリソン・フォードのシーンが全面に出されているので「えっ?!!まだハリソン・フォードはメイン人物じゃないの???」と思いながら映画を観ることになります(笑)
原作よりも人間の事情が前面に押し出されている作風でバックの身の上に感情移入しやすく作られているので、犬であるバックの心理描写がなくても行動と表情で心理状態を推測できる作りになっている点は見やすかったと感じました。
タイトルと内容の違和感
タイトルは『野性の呼び声』、キャッチコピーは「最強の相棒がいれば、人生は最高の冒険になるーー」。
え?このキャッチコピーってどういうこと??
タイトルは『野性の呼び声』でワイルドな感じ出てるのに、「最強の相棒」とか言われてるのなんで?
結局は、人間とバックの冒険物語なの?と矛盾を感じてしまいます。
内容に関してもバックが野性に魅かれていく様子が描かれているのは間違いないのですが、極寒の地で生き延びていくための様子や力強さに関してはやや表現不足なのかなと感じました。
なぜなら、バックがソリ仲間の信頼を勝ち得る描写が人間の考える「正義」や「人情」あふれる姿だからです。
野性に魅かれているはずなのに、なぜそんなにいい犬なのか。
この点において疑問がぬぐえない内容となっていました。
映画と小説の違いについて
映画『野性の呼び声』は小説と内容の改変があります。
小説はタイトルに相違ない内容となっており、バックの野性味がより詳細に描かれています。
個人的には小説のほうがが好きでした(笑)
それではそれぞれの違いを紹介していきます。
バックの態度の違い
バックは北の地に来てからそり犬として働くことになります。
そこで仲間と主人の信頼を勝ち取るのですが、その方法が異なります。
【映画版】
・仕事を忠実にこなす
・凍った湖の下に落ちた主人を命がけで救出する
・先導犬に餌を横取りされた仲間に自分の餌を与える
・先導犬との対決に勝利し仲間に尊敬される
【小説版】
・仕事を忠実にこなす
・先導犬に対して嫌がらせをして輪を乱す
・先導犬との対決に勝利し仲間を力とリーダーシップで支配する
映画版は優しさと忠実さで信頼を勝ち得ます。
一方小説では、野性的な狡猾さと強さによって仲間と主人に認められるのです。
小説版では主人に「バックのほうが(先導犬のスピッツより)よっぽど悪魔だぜ」と言わしめています。
バックは寒い北の地で生き抜くために、「自分さえよければいい」というずる賢さを身に着けるのです。
仲間の心配や自分を犠牲にするような行為は時に死に直結するからです。
そういう自然や野性の厳しさを小説ではバックの変化によって上手く表現しています。
ソートンとのエピソードの違い
バックがソートンと特別な関係になるのは映画も小説も同じですが、最後の展開を含むエピソードは異なります。
物語の展開として分かりやすいのは映画版ですが、より「野性」のテーマに忠実なのはやはり小説版なのかなという印象です。
【映画版】
・酒場でハルに襲われるソートンを助ける
・ソートンの亡き息子のための旅に出る
・ハルの逆恨みによりソートンが命を落とす
・バックがハルを殺す
【小説版】
・賭けに勝ちソートン一行を金銭的に助ける
・川でおぼれたソートンを仲間と一緒に助ける
・ソートン一行がイーハット族に殺される
・バックがイーハット族を殺す
映画版ではソートンは息子を亡くして家族とは縁の切れた孤独な老人として描かれています。
旅をするきっかけも金に目がくらんだ訳ではなく亡き息子が夢見た冒険を実現させるためです。
しかし、小説ではソートンも誰も目にしたことがない金鉱を目指して旅をします。
映画版では金に目がくらんだハルと、ソートンの違いを際立たせるためにこのような改変が行われたのではないでしょうか。
また、小説では今までのどの主人よりも命の恩人であるソートンへの敬愛の念が深いことが伺える描写があります。
今までの主人(最初の判事を除く)は仕事仲間としてバックを大切にしていましたが、ソートンは純粋にバックという犬を愛し、自分の子供のように接していたのです。
バックは愛情表現としてソートンの手を甘噛みし、ソートンはバックを抱きしめ揺らしながら愛おしい悪口を吐くのです。
バックとソートンは極寒の地において、とても文明的な野性に程遠い結びつきを得ました。
その中でもバックは次第に野性への憧憬に逆らえなくなり、獲物を狩り、必要な分を殺し食べることを楽しんでいきます。
そして最後に最愛のソートンが死んだとき、バックは文明から人間から解き放たれ野性へと帰っていくのです。
『野性の呼び声』のまとめ
『野性の呼び声』という題名をつけるなら、もう少しバックの変化に野性味を持たせてほしかった。
というのが個人的な感想です。
バックの気性の粗さや狡猾さ、力強さをもっと前面に押し出してもよかったのではかいかと思います。
この内容では映画のタイトルは『バックの大冒険』とかのほうが合っているような気がしてしまいます(笑)
そして何といっても映画のパンフレットが未製作というのが残念です。
内容を見てあまりヒットしないと思われたのでしょうか…。
ハリソン・フォードが大好きな私からすると、彼の出ている作品のパンフレットは欲しかったのですがしょうがありませんね。
映画を観た人や、この記事を読んで興味を持ってくれた人は是非原作の『野性の呼び声』も読んでみてください。
映画の補足にもなりますし、いかに長年愛されている作品かがわかるはずです!!