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ジョン・F・ドノヴァンの死と生 感想・考察 自分自身を受け入れること【ネタバレなし】

ジョン・F・ドノヴァンの死と生 感想・考察 自分自身を受け入れること【ネタバレなし】

観た人は影響を受けざるをえない作品を次々生み出しているグザヴィエ・ドラン監督。
監督作品7作目にして初の全編英語作品となるのが『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』です。

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は、アメリカのスター俳優とイギリスの少年との秘密の文通を軸として二人の人生が語られる構造となっています。
映画を観る前の主な主題は
「なぜ、スターは少年と文通するに至ったか」
「なぜ、ドノヴァンは死んだのか」
だと思います。
この点に関しては実際に観て頂きたいのであえて触れずにおこうと思います。

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』の着想のきっかけはグザヴィエ・ドラン監督の体験です。
グザヴィエ・ドラン監督は子役から出発して俳優としても活躍していますし、一番好きな映画は『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオにファンレターを書いた経験があるのだとか。
ちなみに『タイタニック』観たことない人はぜひ見てほしいです。
ディカプリオが天使のように美しく恋に落ちてしまいますよ。

こちらの記事では一部ストーリーをかいつまんで紹介します。
ネタバレというほどではありませんが、気になる方はご覧になってから読んで頂くようお願い致します。

目次

ジョン・F・ドノヴァンの死と生の感想・考察

グザヴィエ・ドラン作品はメッセージ性もさることながら、映像だけ観てもまるで西洋画のような美しさがあります。
また音楽に関しても今までクラシック音楽がグザヴィエ・ドラン監督作品ではふんだんに使われていましたが、今作はロックも多く使われています!
今回はストーリーと映像、そして音楽の三点に関して着目してみたいと思います。

ストーリーについて

なぜルパートとドノヴァンが文通するに至ったのか?
この点に関しては詳細な動機は憶測するしかありません。
ですが、ドノヴァンは沢山送られてくるファンレターの中からルパートを文通相手として選びました。
※ルパートは初期からのドノヴァンのファンなので、最初はそれほどファンレターは多くなかったのかも?

ドノヴァンはルパートのことを「今まで会ってきた中でずば抜けて賢い少年」と評しています。
実際は文通の関係なので会ってはいないのですが、文章からそう感じたのでしょう。

年の離れた二人には共通点があります。

・親子関係の不和
・ホモセクシュアル
・俳優という職業

文通によって二人が得たものの中で一番の功績は自分が孤独であることを認める一方で、自分には理解者がいることを知ることだったのではないでしょうか?

先に述べた共通点について更に考えてみましょう。

親子関係の不和

ドノヴァンとルパートはどちらも両親が離婚しています。
(性格にはドノヴァンの親は再婚しており、父親は実父ではありません)
そのことが母との関係を悪化させているのです。

二人の母親は子供が俳優の道をいくことをよく思っていません。
または、応援するきっかけを失ってしまい子供のように駄々をこねたり同じ土俵に降りて口論してしまったりします。
この状況はどの家庭でも起こり得ることです。
私の母もどちらかというと威厳があるというタイプではなく、私と姉妹のような関係です。
ただ言葉にしなくとも多くの母親というものはいつでも子供を大切に思っています。
その「大切に思っている」というのを子供に伝えるかどうかは別として。

ルパートの母、サムは傷ついているルパートに対して言います。
「私はいつでもあなたの味方だし、あなたが傷つくようなことがあれば、いつでもどこでも駆け付けていくわ!」
その直後にルパートは学校行事を無断欠勤し母に禁止されていたオーディションに向かってしまいます。
サムの言葉通りであれば、仕事をなげうってでもルパートを迎えにいくところですよね。
ところが「私は午後から会議があるから、元夫に迎えに行かせるわ」と言い出すのです!!!

ちょっとまて!!!さっきいつでもどこでも駆け付けるって言ってたのはどこの誰だよ!!!

と心のなかで突っ込みました。
今ルパートの元に行かないでいつ行くんだ…と。

サムはルパートに自分は蔑まれていると思っています。
女優業に失敗し、その夢を子供に形だけ託して生活のことに精一杯の挫折した人生。
そんな風にルパートにみられているのだろうと。
だから子供に対しても卑屈な態度をとってしまうのですね。親だって一人の人間で神ではないのですから。

ルパートの親も、ドノヴァンの親も仲直りするきっかけは子供の俳優業に向けての再出発です

俳優という特殊な、孤独な道へ自ら進んでいくことを肯定し応援していく。
孤独を抱える人生の中で母親が自分を無条件で受け入れてくれるということは、一番の救いなのではないでしょうか。

ホモセクシュアルは要素にすぎない

ドノヴァンとルパートは共に同性愛者です。
それではこの話は同性愛についての話、または同性愛を受け入れようという趣旨のものかと問われると、答えはNOだと思います。
なぜかと言えば同性愛者であることは二人が自分自身を認めるうえで要素でしかないからです。

今では同性愛やその他セクシャリティというものは社会的には「そういうものである」という認識以外の何物でもありません。
同性愛者だからとメディアに取り上げられたり、いじめられたりするようなことは時代遅れです。
その人がその人であることを認めて何がいけないのか。

同じくグザヴィエ・ドラン監督の作品『わたしはロランス』は2012年に公開されたトランスジェンダーの主人公と周囲の人々を描いたものです。
こちらは日本でLGBTQという言葉が浸透し始めた時期と重なり、人々が今まで社会から見えないようにされていた人々がどんな苦悩を抱えて、どんな風に生きているのかを受け入れる手助けになったと思います。
「理解される」ことも大切ですが、それ以上に「受け入れる」ことの重要さと難しさを教えてくれる作品です。
『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』をご覧になった方で、『わたしはロランス』を未見の方は見てみてください。

「理解する」というのは極端に言えば自分と違うものを知って、自分なりの解釈し思いやることです。
「受け入れる」というのは、同性愛者のなどという形容詞がつかない、ただのその人自身を認め愛することです。
この違いに気づかない人は多くいるのではないでしょうか?

自分はマイノリティを理解している。そう思っていませんか?

「同性愛者(マイノリティ)であることを理解する」ではなく「自分自身(その人自身)であることを認める」

これこそが映画全体を通して行われている行為であり、グザヴィエ・ドラン監督が作品を通して表現していることであると思います。

俳優という職業

ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は俳優という職業柄の問題が多く見られます。
それはいわゆる世間体というものであったり、イメージや名声からくる孤独です。

テレビや映画の中の自分は自分自身ではない。
自分には沢山のファンがいるが、本当の自分を知る人はいない。
それではなぜ自分は演技を続けるのか。自分は置き換え可能な存在であり、何の意味もないのではないか。
そんな風に考えてしまうのです。

芸能業界にいたことがないのでこの手の悩みはピンとは来ないのですが、誰でも一回は孤独感というものを感じたことがあるのではないでしょうか。
その孤独感が自分を超えて膨張していくとしたら、それほど恐ろしいことはありません。

映画のオマージュが多い『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』は、芸能業界や映画業界に疑問を投げかけながらも、それでもこの世界が好きでたまらないといった様子なのが伺えます。

監督の自伝的要素はないとしても、俳優や映画への愛情が生んだ作品なのではないでしょうか。

映像と色の美しさ

グザヴィエ・ドラン監督作品といえば、題材のセンセーショナルさもさることながら、映像の美しさも特徴の一つですよね。
今作も必要なところは70ミリフィルムを使って撮影されています。
そして『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』において特徴的と思われるのは影の描写です。

画面の大半が闇で覆われ、その間に俳優の顔が浮かび上がるような描写が多くあります。
それはどこを切り取っても西洋絵画さながらの美しさで観客を引き付けます。

『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』において使われている重要な色は、黒と緑と白(光)なのです。

黒は孤独や絶望を。
緑はドノヴァンを。
白は希望を。
それぞれ表しているように思います。

特に緑に関しては特徴的です。

・ルパートが級友に殴られ倒れ込むのは緑の草木の上。
・ドノヴァンからの手紙を読むとき緑の影がルパートを覆う。
・ドノヴァンからの手紙は緑のサインペンで書かれている。
・大人になったルパートが羽織っているのは緑のジャケット。

これらのことから緑はドノヴァンそのものを表す色だと分かりますね。

グザヴィエ・ドラン監督作品は映像に対して一切妥協がなく、どの場面を切り取っても最高なので映画館の大きなスクリーンで見るのをオススメします。

音楽について

共同脚本のジェイコブ・ティアニーとYoutubeで参考にしたい音楽を聴きながら執筆を進めたという程、『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』では音楽が重要になってきます。

バックでささやかに流れるクラシックと、ナレーションのようにここぞとばかりに流れてくるロックが印象的です。
本当に登場人物の心情とぴったり一致するような音楽が使われていて、俳優も歌ってたりします。

映画の流れとして、取材記者に大人になったルパートが当時のことを語るものなので、どうしても回想や語りが多くなります。
そこをさらにナレーションしてたら、ただでさえ多い言葉が更に増えて小説のようになってしまいますよね。
音楽の使い方はそういう意味でもすごく良かったなと感じました。
理屈っぽく説明するのではなく、一発で感情に訴える。
その威力を音楽が引きだしてくれたように思います。

残念ながらサントラは発売されていませんが、Spotifyでは聞くことが出来るようなので検索してみてください!

ジョン・F・ドノヴァンの死と生のまとめ

「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」は個人の問題にフォーカスしたグザヴィエ・ドラン監督らしい作品だと思いました。
出演者もグザヴィエ・ドラン監督が好きな俳優(『タイタニック』や『ハリー・ポッター』に出ていた)を集合させたような豪華俳優陣。
ただ、以前のグザヴィエ・ドラン監督作品と比べるとガツンとくる威力が落ちたような気もします。
少しテーマが難解であるが故かもしれませんが…。

ちなみにパンフレットはエアメール調でとてもおしゃれ、かつ中の紙質もとても素敵なので是非お手にとってみてください!
劇場でグザヴィエ・ドランの世界に浸りましょう!!