ラストレター 映画と小説の違いと解説

ラストレター

目次

『ラストレター』作品紹介

『ラストレター』あらすじスタッフ・キャストの紹介をしていきます。

ここで紹介するのは映画『ラストレター』に関する情報です。

あらすじ

裕里の姉の未咲が、亡くなった。
裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。
未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。
そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎と再会することに。
勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。
裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。
その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎と未咲、そして裕里の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。
ひょんなことから彼らを繋いだ手紙は、未咲の死の真相、そして過去と現在、心に蓋をしてきたそれぞれの初恋の想いを、時を超えて動かしていく―――

引用元:映画『ラストレター』公式サイト

スタッフ

監督・原作・脚本・編集:岩井俊二
企画・プロデュース:川村元気
美術:都築雄二・倉本愛子
スタイリスト:申谷弘美
撮影監督:神戸千木
音楽:小林武史

キャスト

岸辺野裕理:松たか子
岸辺野宗二郎:庵野秀明
岸辺野昭子:水越けいこ
岸辺野颯香・遠野裕理(回想):森七菜

遠野鮎美・遠野美咲(回想):広瀬すず
遠野幸吉:鈴木慶一
遠野純子:木内みどり

乙坂鏡史郎:福山雅治
乙坂鏡史郎(回想):神木龍之介

阿藤陽市:豊川悦司
サカエ:中山美穂
波戸場正三:小室等

『ラストレター』解説

『ラストレター』は岩井俊二監督が小説と映画の二つを手掛けています。
まず小説が大本にあって、次に媒体が映画に移されたのでしょう。
映画にするにあたっての変更点や省略されたポイントなどを解説していきます。

映画版と小説版の違い


・家族構成
・職業
・人物像
・部活動
・エピソード

映画と小説でこれだけの違いがありました。
映画より小説のほうが尺は自由度があるのでエピソードが多く盛り込まれていました。

それぞれの違いを以下で解説していきます。

まだ小説『ラストレター』をご覧になられていない方は一度読んでみることをお勧めします

家族構成

映画では岸辺野家の息子だった瑛斗が、小説では遠野家の鮎美の弟として登場します。

颯香が鮎美と一緒にいると言い出す流れは同じですが、
瑛斗がそれに対して自分は岸辺野家へ行くと言い出す流れで映画の構成と同じ形となります。

その際に颯香に「あたしが邪魔?」と聞かれて
「邪魔だし煩いし女臭い」と言います。

結構強烈な言い方ですが瑛斗の自分を強く見せようと大人びようとするところと、
颯香の女臭さと思われる部分を見抜いているのは流石ですね。

職業

裕理は大学図書館のパート
鏡史郎は小説家
この点については映画も小説も同じでした。

異なる点としては、
宗二郎は映画では漫画家、
小説ではサイバーセキュリティのエンジニア
となっています
エンジニアという職業柄、裕理との喧嘩のシーンでも
「こんなもの(スマホ)を考えた開発者が悪い!」と言ったり、
裕理が鏡史郎に書いた手紙にも
「あなたの家を特定して、パソコンをハッキングしているかも」
などと書かれる始末です。
妻に意地悪なことをするキャラクターという点では相違ありませんでしたが、小説のほうが過剰な描写が多くありました。

阿藤陽市は映画では職業を明かしていませんが、
小説ではビルの清掃員をしている
と書かれています。
また小説版で明らかになりましたが、美咲と鏡史郎の大学に学生でもないのに出入りしていた理由は、
大学の食堂で働いていたからでした。

小説では自身の行動の理由を明確に語っています。
阿藤は自分が何者にもなれないことを卑屈に考えています。
そのため、自分にはなかった憧れの学生生活を謳歌する大学生たちから美咲という一際キラキラして見える存在を奪ってやろうと思ったのです。
阿藤は「オレはお前ら全員から美咲を奪ってやったんだ」と言い張ります。
自分の前に立ちはだかるものへの嫉妬や復讐心から美咲を自分のものにしたのです。

人物像

颯香と幸吉、鏡史郎の人物像が少し異なっていました。

颯香は映画では少し幼さは残る少女だったのが、
小説ではかなり現代っ子風に描かれています。

その特徴的な描写として、何でもかんでもインスタグラムに登校するところです。
それとは対照的に鮎美は古風(純和食料理を作れたり、家事全般ができる)に小説では描かれているのも特徴的でした。

幸吉は映画版では殆ど目立った出番はないのですが、
小説版では目を患っている設定
となっており、家族で散歩をするのが日課という描写があります。

鏡史郎は映画版では転校生として、そこまで目立つことなく美咲に思いを寄せて過ごしていますが、
小説では学年のスターで人気者
のような扱いとなっています。
同窓会のシーンでも美咲同様に壇上にあげられてスピーチをする場面などもあり、
美咲と鏡史郎は学校内でも目立つ憧れの存在だったことが小説では描かれます。

部活動

美咲が生徒会長であったことは同じですが、
それ以外の裕理、鏡史郎、八重樫は映画では生物部、
小説ではサッカー部となっています。

前述した鏡史郎はシェパード犬を飼っており、犬とボールの奪い合いをしているうちにサッカーが上手くなったという。
その鏡史郎が転入してきてからサッカー部で即レギュラー、全国大会へ導いた立役者となっているのです。

八重樫はサッカー部のキャプテン、裕理はサッカー部のマネージャーという設定でした。
個人的には汗臭い花形サッカー部より生物部のほうが岩井作品に合っている気がするので、映画で部活が見直されてよかったと思います。

エピソード

小説・映画で各々追加されている大きなエピソードは場面に分けて四つ程です。
映画よりも小説のほうがセリフで細かく説明・自白する場面が多くありました。

1.同窓会での裕理と鏡史郎の場面
2.岸辺野家での瑛斗に関する場面
3.鏡史郎の取材場面

同窓会での裕理と鏡史郎

【映画】
裕理が壇上に上がりスピーチ

廃校になった校舎のスライドと美咲の答辞が流れる

裕理が退場する

この一連の流れを鏡史郎がずっと見ているショットが挟まれる。
という形でした。

【小説】
裕理が壇上に上がりスピーチ

裕理が呼び戻されマスクをつけるよう強要される
鏡史郎と目が合う

鏡史郎が壇上に上がりスピーチ・校歌熱唱・風船のリフティングする

廃校になった校舎のスライドと美咲の答辞が流れる

鏡史郎が退場する

裕理が後を追って退場する

同窓会の司会者が同級生でアナウンサーとして大成した人物で、
むかつく程、美咲(裕理)と鏡史郎をいじり倒します。
小説は基本的に鏡史郎の目線で書かれているので、最初の時点で裕理のことを裕理だと気づいている描写があります。
気づいたうえで、なぜ美咲になりきっているのか興味がでたのです。

奇しくも、美咲に手紙をしたためていた鏡史郎が自分から裕理とやり取りをするようになるのです。

岸辺野家での瑛斗

【映画】
裕理と宗二郎の夫婦喧嘩をのぞき見

基本のスタイルは家でゲーム

犬・裕理・友達と昭子を探しに出る
犬に引っ張られるように昭子を発見

裕理に波戸場家の前で追い返される

【小説】
~夫婦喧嘩編~
裕理と宗二郎の夫婦喧嘩をのぞき見

洗濯機で異音がすることを報告
(宗二郎によってスマホが壊される)

壊れたスマホを充電する
(偶然電源がついて鏡史郎からのメッセージが表示。
再び夫婦喧嘩に発展)

宗二郎がスマホを投げて、隣人のベンツを割る

瑛斗が自分がやったと言い場をまとめる

~昭子編~
昭子(祖母)を探しに、犬・裕理・友達と出かける
こっくりさんに方角を聞く。
犬に臭いをたどらせる。

昭子を発見するも、波戸場の家から出てこないため
興味をなくして自ら帰宅。

帰ってきた昭子をマッサージしてあげると、
昭子がぎっくり腰になり病院に搬送される。

~家出編~
友達と喧嘩をして家をでる
(こっくりさんや霊感スポット巡りで美咲と交信しようとしていた。
そのことを否定され、喧嘩となった)

昭子が瑛斗が家にいないことを裕理に報告

裕理が近所の子供に居場所を尋ねる

裕理が瑛斗が母を求めて霊感スポット巡りをしていることを知る

瑛斗が警察に保護される

裕理が瑛斗を岸辺野家に迎えようと考える
宗二郎も同意する

瑛斗は姉が心配だから帰ると断る

瑛斗に関しては小説で「子供の成長」という点にフォーカスしたエピソードが多くありました。
死にどのように対面するか。
一番現実的に真正面から向き合ったのが瑛斗なのではないでしょうか。

『ラストレター』まとめ

『ラストレター』の小説と映画の違いはいかがだったでしょうか?
小説と映画ではどちらがオススメなのか?
そして岩井俊二監督作品のファンにとって嬉しいポイントや個人的な感想を以下にまとめていきます。

映画と小説はどっちがオススメ?

小説家の岩井俊二と、映画監督の岩井俊二どちらが好きか。
ということになってしまうと思います。

私の結論は断然映画のほうがいい!!!

映画は岩井俊二作品の独特の、
ほの暗い渦の中にいるような感覚なのに、キラキラと光って見えるものがある。
そういう印象が映像・音楽・役者の演技すべてで表現されています。

小説は物事と心理描写が詳細に書かれているので、
理解はしやすいと思うので、映画の補足のように読むのがいいのではないでしょうか。
勿論小説としても完成されているので、まだの人はぜひ読んでみてください。

岩井俊二作品としての集大成

俳優が作る無垢な世界

今回は何といっても、広瀬すずと森七菜の二人の存在が大きい。
森七菜は新海誠監督作品『天気の子』のヒロイン役で一躍有名になりましたが、
それより以前に本作のオーディションは行われたため大抜擢となりました。

この二人はそれぞれ回想シーンで自身の母の学生時代を演じています。
それが、ちゃんと別の人物として見えるし、逆に現実の場面では母(裕理と美咲)の亡霊のようにも見える。
肌の質感まで見えそうな無垢な画面は観ているだけで胸が締め付けられます。

そして岩井俊二作品ファンに嬉しいのが、
『Love Letter』の主演二人、中山美穂と豊川悦司が夫婦役で共演していること!!!
他にも『四月物語』の主演だった松たか子がヒロインの裕理を演じています。
最後に鏡史郎と握手した裕理は「やったー!」と無邪気に喜ぶ。
その姿は無邪気に悪魔にも天使にもなれる裕理という人物そのものを表しているように感じました。

余談ではありますが純子役の木内みどりさんは昨年秋にお亡くなりになっており、
映画でまたお目にかかれたのはとても嬉しいことでした。

鏡史郎を通してみる死者の気配

映画では誰の視点でもなく、裕理・鏡史郎・子供たち・回想それぞれの場面で構成されています。
その中でも頂点には美咲という超絶ヒロインが皆の中にはいて、
裕理と鏡史郎がメインとなって彼女の死を起点に再びつながっていきます。

この中で人一倍美咲への思いが強いのは勿論、鏡史郎です。

美咲の死がなければ、裕理は同窓会に来なかった。
裕理が同窓会に来なければ、鏡史郎と再び会い文通することもなかったし、犬を飼うこともなかった。
犬を飼うことや文通がなければ、鏡史郎が鮎美と颯香と出会うこともなかった。
鏡史郎は鮎美と颯香に合うことで、現代が一気に高校時代にタイムスリップするのです。

この出会いがなければ鏡史郎は「小説家」としての自分を失っていたのではないでしょうか。
劇中でサカエ、鮎美、裕理の三人から著書『美咲』へのサインを求められている。
サインをすることで自分が「小説家」であることへの自覚を取り戻しているように見えます。

ラストレターの意味

鏡史郎にとってすべての始まりは、美咲が答辞を依頼してきて自分が書いた文章を笑顔でほめてくれたこと。
「小説家になれるよ。」という彼女の一言です。
また、美咲の笑顔がみたい。
その一心で鏡史郎は小説を書きます。

美咲を笑顔にした最初の手紙=答辞は、美咲が鮎美に託した最後の手紙=遺書となります。

本日私たちは、卒業の日を迎えました。
高校時代は私たちにとって、おそらく生涯忘れがたい、
かけがえのない想い出になることでしょう。
将来の夢は、目標はと問われたら、私自身、
まだ何も浮かびません。でも、それでいいと思います。
私たちの未来には無限の可能性があり、
数え切れないほどの人生の選択肢があると思います。
ここにいる卒業生、ひとりひとりが、今までも、
そしてこれからも、他の誰とも違う人生を歩むのです。
夢を叶える人もいるでしょう、叶えきれない人もいるでしょう。
つらいことがあった時、生きているのが苦しくなった時、
きっと私たちは幾度もこの場所を思い出すのでしょう。
自分の夢や可能性が無限に思えたこの場所を。
お互いが等しく輝いていたこの場所を。

引用元:映画『ラストレター』

この答辞そのものの世界が、映画で表現されています。
高校時代から未来になった今。
手紙を書くという今も昔も変わらぬ行為で、高校時代の思い出をたどる。
その一瞬のきらめきが誰かを一時的にでも救うことがあるのです。