邦画

聲の形 キャラクター考察 なぜその行動をとったのか解説!

【ネタバレあり】

映画のレビューというよりキャラクター考察がメインの記事です。

MOVIX京都にて京都アニメーション映画作品 特別上映での鑑賞です

映画では描き切れなかった西宮八重子(硝子の母)・竹内先生・真柴智については下記の漫画版の考察にて書いています。

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目次

『聲の形』の中の歌と小説

怪獣のバラード

『怪獣のバラード』は合唱コンクールで硝子たちのクラスが歌うことになった曲です。

この曲が歌われるシーンが本作には二回あります。
一つ目は小学校での練習で硝子が出だしを間違え歌いだしてしまい、上野が「これ、合唱コンやばくね?」というシーン。
二つ目は硝子に「私と一緒にいると不幸になる」と言われて家に帰ってきたシーンで石田がつぶやくように歌うシーン。

劇中で実際に歌っているのは石田と硝子の二人だけ。
そして、曲調は明るいのに歌詞が映画を観ながらだと余計にグッときます。

海が見たい 人を愛したい 怪獣にも心はあるのさ

出かけよう 砂漠捨てて 愛と海のあるところ

出典元:歌ネット

硝子と石田は自分のことを過少評価し卑下する傾向があります。
何か悪いことが起こると全部「自分が悪い」と思ってしまう。
それでも実際は心のどこかで人を理解して愛したいと思っているし、今よりもっと素敵な場所に行きたいと思っている。
そんな心にこの曲がすごく寄り添っているなと感じたと同時に二人の自己認識そのものだとも思いました。

映画とは関係ないですが、この曲を聴くと小さい頃に読んだ『かいじゅうたちのいるところ』を思い出します。
大人になってから読んでも凄くいい絵本ですよね。

カレーライス

『カレーライス』は重松清が教科書のために書き下ろした作品です。
この小説はこの映画と全く同じ題材で書かれており、「ごめんなさい」と謝る以外での和解方法、そしてその過程のコミュニケーションと子供の成長が題材となっています。(友達と親子という点での相違はある。)

上野が授業中に読む出だしの一説が、すごく上野にピッタリだなと個人的には思いました。

ぼくは悪くない。だから、絶対に 「ごめんなさい」 は言わない。
出典元:『カレーライス』著/重松清

重松清さんの作品は中学受験などでも頻繁に出題されていた記憶があります。
※十年以上前の記憶ですが…

また、教科書以外にも文藝春秋から出ている『はじめての文学 重松清』にも収録されているので気になる方は他の作品と合わせて読んでみてください。

『聲の形』キャラクターそれぞれの弱さ

聲の形』のキャラクターはそれぞれに弱さを抱えています。

その弱さはどこから生まれたのか。
そして弱さ故にどのような行動をするのかを解説していきます。

石田将也

石田と硝子はよく似ています。
自分のことが嫌いで何か悪いことが起きたり雰囲気が悪くなると「自分のせい」ということにして場を収めようとするし、そのくせ他人に踏み込んでいけないところなんかはそっくりだと思います。

でも、石田は硝子のことがなければこんな人格にはならなかったのではないかと私は感じました。
小学生のころはどちらかといえばガキ大将の立場だったし、友達も多かった。
あの頃のまま育っていたら天真爛漫な、人を傷つけてもそのことすら忘れていけるような人間になっていたのではないでしょうか。
一番の転機はクラスの中で硝子に対するいじめの主犯格に”されてしまった”ことにあります。
「誰か、硝子に対するいじめのようなものを目撃しなかったか」と聞かれたとき、石田は自ら手を上げようとしていました。
それを担任に名指しされ、上野や川井からも責任を押し付けられることでクラスから孤立します。
それ以来、「いじめをした自分が友達を作ってもいいのか…」と考えているし、「友達になる」ってどういうことだろうとも考えています。要するにずっと自分が悪いという思いをずっと持って生きているのです。

ちなみに硝子にいじめをした理由としては、本人曰く「もっと話がしたかったから」と話しています。
硝子が耳が聞こえないとわかった時に「やべえ!!」と石田は叫んでいるのできっと最初から硝子に興味があったのでしょう。その興味が捻じれてちょっかいを出しているうちにエスカレートしていった。
石田は小学生のとき硝子とコミュニケーションの取り方を間違えたことを時間を経ることで認めています。
ノートや手話を提示されていたにも関わらずいじめを選んでしまった自分を理解しました。

今まで人の顔を見ず、耳をふさいで生きてきましたが映画の中で人々との交流を通して友達になりたいと歩み寄り、相手としっかり正しいコミュニケーションをとるからこそ友達になっていくんだと石田は知ります。

家族に対して優しく、年下の者には優しく、カツアゲされている永束をほおっておけないような石田なら、きっと今後は良い人間関係を築いていけるのではないかと思いました。

西宮硝子

登場人物の中で一番自己肯定感が低いのが硝子だと感じました。
悪いことがあると「自分と一緒にいるから不幸になる」。雰囲気が悪くなると「私が悪い」と思って生きています。

それでも小学生の時は頑張って級友とコミュニケーションをとろうとして筆談ノートを用いています。それでも他の子たちと全く同じように過ごすことは出来ずに彼女と級友の間に徐々に溝が出来て行ってしまいます。
(合唱コンの練習の歌や、授業中の音読、先生の口頭説明が聞き取れないなど…)
きっと母親からのプレッシャーもあったのではないかと思いました。
母親は硝子のことになると激昂しやすいタイプですし、硝子のことを”ちゃんと”育てなければと気負っている節があるように見えました。
彼女が花火大会の日に死のうとしていることも印象的です。
耳が聞こえない硝子にとって花火の振動は数少ない音を感じられるもの。死のうとする硝子はどんな大きな声で大きな気持ちで呼び止めても意味がないと知らされます。
一方で石田は小さな花火で、硝子の小さな声で死のうとしていた気持ちを変えることが出来た。二人は似ているようで対極にいる人物だと知らされる場面でもありました。

その自己肯定感の低さなどから新しい学校でも上手く馴染めなかったのではないかと思います。
放課後は手話教室に結弦と一緒に来ているし、火曜日は鯉に餌やりをしに行っているし。

そんな中で彼女の中で特別な人たちといえば石田佐原だったのではないでしょうか。
石田は悪い意味で印象に残っていた(補聴器を何度も奪われ、怪我も負わされた)でしょう。
佐原は小学校のとき唯一コミュニケーションをとろうとしてくれた子として覚えていたと思います。手話を覚えようとしてくれていましたし。
その証拠として石田に連絡先を知りたい人がいるか聞かれたときも、真っ先に佐原の名前を挙げています。
石田が佐原と硝子を再開させてくれたことは硝子にとってかなりプラスの意味を持っていたのではないでしょうか。

最後まで「自分が悪い」という精神は変わっていませんが、「自分が変わらなかったことが悪い」と自覚するところまで行ったので、今後硝子の周りの人間も含めて変わっていくことで良好な人間関係が築けていければ少しずつ環境は好転していくのかなと思いました。

西宮結絃

結弦は凄く特別な立ち位置の存在で、石田と硝子の間を取り持ち、人間関係を俯瞰することが出来る人物です。
その一方で、姉のことばかり気にして自分のことを一番おざなりにしているとも言えます。

写真を撮るのが趣味で(これも硝子のためですが)、学校に行かずにずっと姉と行動を共にして常に気にしています。
勿論小学校のことも知っているので、最初は石田のことを敵視し貶めようとしました。
また「まともな人間にでもなったつもり?気持ち悪いんだよ」と石田に言葉を投げかけています。

結弦が唯一心を開けたのは祖母に対してだけです。
※おばあちゃんの洋服がめちゃくちゃ可愛いので注目して観てほしいです。癒し要素です。
祖母は結弦に「姉ちゃんのことばっかで、自分のことはちっとも知ろうとしないんだから」と声をかけています。
そのあとで不安で眠れない結弦と一緒に寝てあげていますね…。
その祖母が亡くなったとき、石田に「怖い」と素直に感情を吐露しています。
唯一の味方がいなくなるのは結弦にとっても、西宮家にとっても大きな痛手だったと思います。

Nikonのカメラが印象的ですが結弦の撮っている写真は動物の死体です。
姉が死にたいと思っていることを結弦は知っていて、常に姉が死んでしまわないか不安を持っています。
動物の死体を撮り、部屋に飾っておくことで姉に死なずに生きていてほしいという思いを伝えているのです。結弦の思いを知った時とても辛くてめちゃくちゃ泣きました。
また、結弦が賞を取った写真は鳥の死体の跡の写真です。
ですが学校に行こうと決めて姉に応援してもらってから撮った写真は空を飛んでいる二羽の鳥となっています。
結弦が姉と一緒に今より強くなっていこう、頑張っていこうという気持ちが表れていますよね。

永束友宏

クラスで石田と同じように孤立しており、石田のことを”親友”(ビッグフレンド)だと思っているとても優しいキャラクターです。
永束は友達のために泣ける優しさと同時に「友達っぽいことをしたがる」「勝手に親友と決めて執着する」という要素も持ち合わせています。そして、このマイナス要素を自覚してもいます。

最初に石田の心を開いた高校のクラスメイトでもあり、見ているこっちが「彼女かよ!」と突っ込みたくなるくらい石田に執着しています。
そして、石田に酷いことを言われても受け入れることが出来て許すことが出来る心の広さがあります。
石田のことを凄くよく見ていて橋の上での硝子と石田のやりとりを聞いても、二人の関係を知らないのに”友達”について聞いてきた石田の様子から色々考えて「石田君…」と呟いて事情を呑み込んでいます。

石田が死にかける原因となった硝子に対しても責めることはせず、
「やしょーは俺みたいなやつ受け入れてくれたんだ。(中略)目を覚ましてくれなきゃ困る。」と言うにとどめています。みればみるほど仏様のように思えてくる人物でした。
あと、マスコット的な要素もあって飛び跳ねているシーンがポヨポヨしていて可愛いです。

植野直花

上野はとても素直です。素直過ぎて言わなければいいことも言ってしまいます。人との距離の詰め方も直球です。
多分、彼女も自分のそういう悪い部分を自覚していてそういう自分が嫌いなのだと思います。
そして小学校時代に硝子のことを一番よく見ていた人物でもあります。

小学生の時も硝子が場の空気を乱すごとに文句を言っていますし、心底硝子がいなければ良かったと思っています。
硝子に対してのいじめの件は自分たちに石田を責める権利はないと思っていて、自分がいじめていたことを認めています。
上野の硝子に対する憎悪は石田がいじめられる側になったことでより一層増していきました。
小学校の頃からずっと石田のことが好きで忘れることが出来ずにいたために観覧車で直接硝子に「あんたのことが嫌い」と自分の気持ちをぶつけるまでに至ったのだと思います。

硝子に対してキツすぎるように見える上野ですが、私は一番まともだと感じました。
上野は硝子とお互いの理解が足りていなかったこと、硝子がなにかあったら「ごめんなさい」と謝るばかりだったことを理解していました。そして最終的に硝子から親に話がいったことで状況が悪くなったことを怒っています。
上野は「ごめんなさい」と謝ること自体に意味がないということを一番分かっていたのではないでしょうか。

最終的には「ごめんなさい」と謝る硝子に対して苛立ちながらも「それがあんたか…」と受け入れています。
そのくせ「バカ」という罵倒する言葉ですが、手話を覚えてくる(間違っていて硝子に訂正されていますが)など硝子に対して好きになれなくても歩み寄ろうという姿勢が見えるのが上野が大きく成長した点ではないでしょうか。

佐原みよこ

自分が渦中に巻き込まれそうになると逃げてしまう弱さを持っています。それを一度認めてチャレンジしてから考えるように自分を変えていこうという気持ちになっている一見強いキャラクターです。
佐原は元々正義感が強く優しい性格でした。
小学校のときは唯一手話を覚えて祥子とコミュニケーションを取ろうとしていますし、祥子と再会してからは一緒にカラオケにも行く行動力も持ち合わせています。

そして硝子を守れずに逃げてしまったことをとても悔いています。その罪悪感からずっと手話を勉強していたという点は石田と似ているかもしれませんね。
佐原は橋の上で石田に「どうせ逃げるんだろ」と指摘されたことで、硝子が辛い時期も寄り添うことができず逃げてしまう結果となりました。それでも硝子に「これから変わればいい」と言われて救われたと思います。

自分のなかの弱さを認めるという点において、佐原はしっかり自分と向き合うことが出来ていたキャラクターだと感じました。

川井みき

正直、一番嫌いなキャラクターです…。好きな方には申し訳ないですが。
川井は本気で自分が正しいと思い込める点が他のキャラクターと根本的に異なります。自身で認めていますが、「自分が一番かわいい」というのが川井のスタンスなので、他人が彼女の悪い点を指摘しても全く意味はありません。
正直、こういう人物が一番社会で生きていきやすいのかな。ずるいなと思ってしまいます。

小学校のときも言葉では「やめなよ」と言っていますが、心の中では一緒になって楽しんでいます。
上野からみれば川井は「同調して笑ってただけのやつ」ということになりますが同調は一種のいじめですよね。
それでも川井は石田がつるし上げられたときに「川井も悪口を言ってた」と責められると涙を流して「私、そんなことしないよ」と言います。彼女の涙はウソ泣きではなく本気で傷ついて泣いていますし、本気で自分が無実であると思っています。川井のやっかいな点はここにあります。

普段は誰にでも分け隔てなく接することが出来る川井ですが、自分が悪者になるかもという時には誰かを悪者にしてでも自分を守るのです。
硝子が死のうとしたと聞いたときに「誰だって生きてれば辛いことだってあるの、でも皆そうでしょ?だから、自分のだめなところも愛して前にすすんでいかなくちゃ」と言っています。
凄く矛盾していますが、「自分が一番かわいい」という自分の欠点も愛して前にすすんでいかなくちゃと思っているのです。
いや、本当に怖い女ですね…。

真柴智

一番描写が少なく分かりにくいキャラクターです。石田にも言われていますが「部外者」ですし。
ただいじめに対して強烈な憎悪を持っているように感じました。
いじめをする人に対する見解として「許せないんだよなぁ、僕。そういうの。」と言って石田を怯えさせています。
その一方で「謝れば許してあげれば」と川井に言っているのはなんだか不思議ですね。

石田に対しても興味を持ったなら自分から話しかければいいのに、わざわざ川井を通して友達になりたいと伝えるのも普通の人ならしないよなと感じてしまいます。
きっと相手の懐に深く踏み込んでいくのが苦手なタイプで、過去にいじめられたりしてそんな風になってしまったのかな。
上辺だけの人間関係でそれとなくトラブルを避けつつ生活していくというのが彼のスタンスのように見えました。

だからこそ硝子に極限まで踏み込んでいった石田に対して「凄いよ」と言っているのだと思います。

『聲の形』のキャラクター考察 まとめ

聲の形』のキャラクター考察はいかがでしたか?

人間の世界ではいじめはなくなっていません。
子供から大人まで、そして拡大すると戦争にもなるかもしれません。

これからは、私のいじめられた経験を踏まえての感想です。

いじめ経験者が観る『聲の形』

私はこの映画を観るのをずっと避けていました。
それは、自分がいじめられたことがあり映画を観ることで辛くなるかもしれないと思っていたからです。
また、石田が肯定されることで加害者が肯定されるようで嫌だという気持ちもありました。
実際そういう面もありましたが、もっと相互理解や内省を通して成長するというところに重きをおいている映画であり、絵も綺麗で音楽も細かい部分まで表現されていてこんなにいい映画ならもっと早く観ておけばよかったなと思います。

私がいじめられていたのは小学生の頃ですが、高校生になってからいじめを積極的にしていた子から直接「あのときは、本当にごめんなさい。」と謝られたことがありました。
その時は心のなかで「いじめをした、されたという事実は消せないのに、この人は自分を許すために私に謝ってるのか。」と惨めな気持ちと怒りを覚えました。
なので、私の中で謝るということは過去の行為において全く意味を成さないものであると同時にこの時の謝ってきた子の気持ちが全くわかりませんでした。

今でも謝るという行為にはそんなに意味があるとは思っていません。そこに至る経緯や関係構築のために何をしたかのほうが重要であると思います。
言葉で謝ることは上辺だけでいくらでも出来ます。謝ってるから許してあげるという理論は最悪です。

それでも、この映画を観て石田に寄り添うと同時に、あの時謝ってきた子がもしかしたら6年間そのことを本当に悔いていたのかもということ。
そして被害者よりも加害者のほうがいじめをしてしまったということを強烈に覚えているのかもしれないと思うようになりました。
私は今もその子を全面的に許すことは出来ないけれど、この映画を観て絶対に許さないと張りつめていた気持ちが少し和らいだ気がします。
※勿論、小学校時代に石田が硝子にしたことは器物損壊や傷害であることに変わりはありません。決していじめや暴力を肯定するつもりはありません。

映画のエンディングが「恋をしたのは~」で始まったときは、恋愛要素そんなになかったと思ったのでびっくりしました…。